2021年4月21日(水)
第四の道と7の法則について
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第四の道 3の法則・7の法則


 第四の道はつながりを求める。しかし…

 グルジェフは、「この道は一人ではいけない。それは不可能だ」と言っています。

 第四の道を行くには、つながりが必要になってきます。

 ラス・ハドソンは、オンラインセミナー“the Ancient Spiritual Origins of the Enneagram as a Path for Self-Discovery & Wholeness”のなかで、そのたとえの一つとして、「キリストのからだ」を例に挙げています。

 「キリストのからだ」というのは、キリスト信者にとっては教会のことを意味し、キリストを通してつながる人々のこと、「共同体」を意味します。そのつながりは、「キリストはブドウの木」と象徴的にあらわされます。ブドウの木は一本の幹から、どんどん枝が広がり、ブドウの房が実ります。つながりによって、それぞれが豊かな実りを産むわけです。

 また、グルジェフは、第四の道はいかなる宗教も必要としないと言っています。古代の宗教的伝統に結びつく教えからきているものですが、それは特定の宗教や宗派を意味するものではありません。第四の道を歩もうとする人々は、何らか信仰を持っていたり、持っていなかったり、それぞれが異なる宗教や宗派に属していたり、いなかったりするかもしれません。

 世界中に生徒を持つエニアグラム研究所のドン・リソ&ラス・ハドソンのエニアグラムは、エニアグラムを単なるタイポロジー(性格類型論・性格分類法)として扱うものではありません。パーソナリティーの9つの類型は、自我の構造を表すものです。自我とは超自我、意識的自我、潜在的そして無意識的自我の領域にまたがっています。そこは自己理解の入り口に過ぎません。リソ&ハドソンのエニアグラムも、もとより第四の道を目指すものだったと言えるでしょう。

 第四の道について、第一の道から第三の道、そして第四の道の意味については、他のところで説明したのでここでは省略します。→第四の道(サイト内リンク)

「この道は一人ではいけない。それは不可能だ」というところに話を戻します。第四の道を行くためには、つながりが必要、コミュニティーが必要になってきます。それは、ワークを通して、気づきが深められる場所であり、時に精神的な癒しがもたらされる現場になりうること。それがコミュニティーに求められるものです。コミュニティーは安全な場所でなければなりません。

 関わらないほうがいいコミュニティー

 しかし、ラス・ハドソン師も言及していることですが、コミュニティーが健全さを保ちつつ、持続していくというのはなかなかむずかしいことなのです。当初はお互いがスピリチュアルな自己成長を目指し、互いにサポートしあい、気づきを分かち合う場所であったはずのコミュニティーが、本来の目的から外れて別のものになっていくということはよくあることです。

 コミュニティー内部のヒエラルキーの形成、メンバーの上下関係、パワハラ、精神的いじめ、メンバー同士の対立や葛藤、金銭がらみのごたごたなど。どんな組織でも起こりうることが、こういったコミュニティーにおいても生じることがあります。所詮、人の集まりです。

 このようなコミュニティーやグループに関与してしまうと、その体験が精神的なトラウマとして残ってしまうようなこともあり得ます。第四の道どころではありません。

 関わってはいけないのは、グループの中で自分が尊重されていないと感じるようなグループ、漠然とした不安を植え付けられるグループ、自己陶酔的で自分たちは選ばれた人々であり、それ以外は劣っているとか救われない人々だという見方、グループ以外のこれまでの人間関係を断ち切らせようとするグループ、教祖様のような人がいてその人の言うことが絶対である、メンバーはその人に気に入られることに力を注いでいるなど。多様な価値観を受け入れず、「すべての人が〇〇すべきである」というような発想など。

 以上のような例はちょっと極端だったかもしれませんが、たびたびコミュニティーメンバーの間で、派閥のようなものがあり、人が頻繁に入れ替わるようなところも、望ましい環境ではありません。

   


 3の法則

 3の法則とは<能動的><受動的><中和的>と呼びうる三つの原理です。言い換えれば、<肯定><否定><中和>、またヘーゲル的に言えば<正><反><合>です。これは創造の働きを表す原理です。エニアグラム図の中では、数字の9・3・6を結ぶ線で表される正三角形です。3の法則は古代から洋の東西に関わらず根本原理とされてきたものです。

 3の法則は1÷3=0,333333333……で、どこまでも割り切れず、0、33333333……を3倍しても決して1にはなりません。創造は「一にして全なるもの」から降りてくるが、被造物は創造の根源に近づこうとしても、創造主そのものにはなれないということでしょうか。

 キリスト教では父と子と聖霊の三位一体(聖なるトリニティー)、東洋的な思想では天地人という三才の考え方があります。

 余談ですが、キリスト教ではなぜ、父と子と母ではなく聖霊なのか、ここに母なるものが入っていないので、とくにカトリックの場合は、聖母マリアがそれをつなぐものとなるのか、あるいは『放蕩息子』の譬えを深読みすると「父のなかに母なる愛が統合されている」のか、あるいは「聖霊」が母なるのものを含みうるのか……など、疑問がわいてきますが、それはさておき、話を進めます。

 3の法則がものの見方として大事な点は、<能動的><受動的>や<肯定>と<否定>、<正><反>といった2元的な見方では何も生まれないということです。2次元的な見方では、対立するものを超えていくことができず、そこにとどまります。2元的な見方を超えて3次元的な視野を持てば、問題状況が見てきて、それを乗り越える方法が見つかるかもしれません。

 たとえば、「生きるか死ぬか」「白か黒か」「正しいか正しくないか」「やるかやらないか」「成功か失敗か」といった二項対立では、俯瞰した見方ができず身動きが取れません。

 7の法則


 円周上の残りの6つの点は、1÷7で、0.142857142857……で、3の倍数を含まない、循環小数となっています。

 7の法則が示すのは、事象の進展の仕方です。すべての事象は変化するものです。事象の変化はまっすぐに進むものではなく、ある種の不連続性があるとグルジェフは言っています。それは規則的な不連続性といってもいいでしょう。7の法則は「オクターヴの法則」とも呼ばれます。


 オクターヴは8個分離れた音の距離の単位です。音階(1オクターブ)には「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」の8音があります。1オクターブとは、ドから次のドまでの8音のことで、「オクターブ」の語源には数字の8が関係しています。
 
 オクターヴの法則では、ドとレとミはそれぞれ等しい間隔(インターヴァル)があるが、ミとファの間は全音ではなく半音です。音階を上昇するとソ、ラ、シと続き、そのインターヴァルも全音で等しいが、次のシとドの間は再び半音となります。

 グルジェフは、あらゆる事象にはこのような法則的な不連続性が働いていると言っています。それはあることが、連続して進んでいるように見えても、どこかで滞りスムーズに進まなくなる。うまくいっているように見えたことが、なぜかうまくいかなくなる。思った方向に向かわないといったことの説明になるというのです。



 ド、レ、ミと進んでいたことが、ミとファの間である種の不連続を生じる。そこにはなんらかの付加的な力やエネルギーが注入されない限り、停滞するか、ないしは下降するというわけです。

 それが、当初は高い理想を掲げていたコミュニティーが、いつの間にはその理想からかけ離れた活動になっていくということの説明にもなります。

 グルジェフによれば、人は自然に上昇する方向に進んでいくことはできません。何事も時間が経つうち、当初の目的に向かって真っすぐに進んでいるはずが、いつのまにかその軌道を逸れて、ゆがんだ軌道をたどっていくことになります。さらにその先に進めば、結局は直線的な方向に進んでいたはずが、大きな円を描くようにして元のところに戻ってくるということすらありえます。

 ミとファの間のインターバルをうまく乗り越え、さらに先に進んでいったとしても、次にシとドのインターバルまでくると、ずっとうまくやってこれたのに、あるいは完成に近づいた事柄が、そこで行き詰まりうまくいかなくなるといった事態を迎えることになります。

 話は少しそれますが、体のゆがみについて実感できるような簡単なエクササイズがあります。ジムやヨガ教室などで、マットの上に立ち、その場で目を閉じて足踏みをします。50回、100回と足踏みをし続け、目を開けてみるとその場で足踏みをしていたはずが、左右に大きくずれていたり、前に進んでいたり、後退していたり、極端な場合は半円を描くようにして回ってしまうこともあります。

 安全な場所で試しにやってみてください。これを推し進めると、まっすぐに進んでいたつもりが、いつのまにか軌道を逸れていくということが想像しやすくなります。


 7の法則では、ミとファの間、シとドの間を、ショックポイントと呼びます。プロセスを進行させるために、何らかの付加的な力が加えられないと、プロセスは先に進まないというわけです。全体としての流れは滞り、本来の目的からは離れていってしまうということです。

 このことはご自分の体験と照らし合わせてみると、納得のいく方も多いのではないでしょうか。仕事や職業選びで思い描く夢があり、成功したいと思い一生懸命頑張ってきた、恋愛では愛し愛される関係を求め、幸せな結婚生活が送れるよう心から望んできた。ところが、心の底からそう願ってきたはずなのに、うまくいかない、いっていないといった体験……。

 ショックポイントというのは、何度もやってきうるものです。

 人によっては、とくに問題意識をもたないまま、比較的順風満帆と思ってきた人生で、この先も何の問題もなく過ごしていけると思っていたところ、ある程度の年齢になってから、たとえば思ったような出世ができなかったとか、家庭の問題を見過ごしてきたとか、そういう現実に直面することもあるかもしれなせん。

 全体的な流れとしてはうまくいっていなかったのに、うまくいっていると思い込んでしまっているということもありえます。ショックポイントを乗り越えられず停滞から下降へと向かう、まっすぐに進んでいるはずがもとのところにもどってきてしまい、先に進めていなかった、というようなこともありうるでしょう。
 もっとわかりやすい例をあげましょう。ラス・ハドソン師が時々例に挙げているのは、ダイエットです。体重を減らすために、食事制限を始めたとします。すると、しばらくは効果が見られます。けれども、そのうち食事制限だけでは体重が減らなくなる。ここが最初のショックポイントです。そこで、何か運動を取り入れる。すると運動の効果が見え始め、体が引き締まってくる。それを続けていると、その先は現状維持が続き、目立った効果は見られなくなる。次のショックポイントで、そこで何らか、より効果が生まれる新しい方法を取り入れていかなければ、停滞が続くということになります。ダイエットなどは、ショックポイントにさしかかり、停滞するだけではなく、むしろリバウンドしてしまうこともありうるかもしれません。

 わたしたちは、全体的な流れとしてはうまくいっていないのに、今のやりかたがうまくいっていると思い込んでいることもあります。

 また、ショックポイントは、文字通りうまくいっていたはずの人生に、なんらかストレスフルな体験としてやってくることもあります。なぜ、自分はこういう目にあわなければならないのか。それは病気だったり、事故や災害に巻き込まれることであったり、信頼していた人の裏切りだったり、会社の倒産だったり。時には、人生において耐えがたい体験かもしれません。

 ショックポイントに気づき、そこに新しいエネルギーを注ぎ込み、停滞や下降ではなく、本来の自分自身に至る道を見出し歩んでいこうとするなら、わたしたちはたえず目覚めていなければなりません。自分一人ではそれは難しいかもしれない。ですが、エニアグラムの知恵が役に立ちます。第四の道は一人では歩めません。

 エニアグラムの知恵を深めたいと思い、第四の道に興味のある方は、一人で学ぼうとするのではなく、信頼のできる人やグループにアクセスするのがいいでしょう。とはいえ、上にも書いたように、その見極めも必要になってきます。

 コロナは誰にとっても大きなショックポイントとなりうるものです。わたしたちはコロナ感染拡大によって、むしろショックポンとに差し掛かっていることに気づかされたというところもあるでしょう。マイナスの体験も、ときには通常の意識状態からより覚醒していくきっかけにもなりえます。ショックポイントは必ずしもマイナスの体験ではなく、そこに軌道修正が必要となっていることに気づかせてくれるものでもあるでしょう。

 ※今回筆者があることで腑に落ちたことがあるのですが、それは必ずしもグルジェフの思想に沿うものではないかもしれません。腑に落ちた点に関してはエニアグラムサロンの中で直接お話したいと思っています。筆者の考えるヒントはあくまで、リソ&ハドソンのエニアグラムを通して触れてきたグルジェフの思想止まりで、その先に向かって行くことが目的ではありません。

 ※参考図書:『奇跡を求めてーグルジェフの神秘宇宙論』ウスペンスキー著 浅井雅志訳(平河出版社)


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