2023年10月13日(金)
『進撃の巨人』とタイプ5の世界
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【進撃の巨人とエニアタイプ5の世界】

standfmエニアグラムチャンネルでのトークを文字越しした内容になっています。ですので、文章は口語体です。

こんにちはエニアグラムチャンネルです。
エニアグラムは9つのタイプがあるのですけれども、タイプ5について。

この世界は残酷だ!
「観察する人」っていうようなニックネームがついているんだけど、そのタイプと『進撃の巨人』のお話をしようかなと思ってます。
『進撃の巨人』って「この世界は残酷だ」っていうのがあるんですよね。最初、壁の中で暮らしていて、外の世界がどうなっているのか知りたいっていうのが、主人公エレンの欲求なわけですよ。外の世界にはとてつもない巨人が住んでいて、圧倒的に、もう絶対に人類がかなわない恐ろしい存在がある。
タイプ5の人の世界観というのは、「この世界は残酷だ」なんですよ。エレンの幼馴染ミカサの回想シーンの中に、表面的には平和に見える自然の中、実は恐ろしいことが起こっているという、カマキリがね、蝶々を食っていたっていうところがあるんですよね。

そこにお父さんがニコニコしながら猟から獲物を抱えて、カモか何か鳥の死骸を抱えて帰ってくる。それがミカサの視線から見えるわけですよ。
そういう外の世界が恐ろしい世界だってのはこれ、人類全体に共通する恐れっていうかな、
その恐れが根源的にあり、それをテーマとして持ってる人っていうとタイプ5と呼ばれるような性格傾向のある人なんですけれども。

無知無能であることを恐れる
よくタイプ5って「考える人」って呼ばれるから、自分は考える人だからタイプ5だと思うっていう人、すごいたくさんいるんだけど。本当のところどうかな?
タイプ5の根源の要求っていうのは、自分が無知無能であることへの恐れ、っていうのがあるんですよ。それは人類全体の恐れでもあるわけで、なんで無知無能であることへの恐れがあるのかっていうと、何も知らないっていうことは、そうだと生き残れないって感じですよね。

それは人類全体の恐れでもあるわけですよね。で、知りたいっていう要求があるからこそ、人類の文化文明が発達してきてるっていうとこ、あるわけじゃないですか。
そういう恐れがあるから、欲求っていうのが出てくる。知りたいっていう。

面白いのはね、エレンがその壁の外の世界に戦いに行くんじゃなくて、調査兵団なんだよね。
知りたいって、調査しに行くっていうところあるわけですよね。探求したいんですよね。

俯瞰した世界 鳥の眼
ものすごい広い世界、作者の諌山先生はご自分の中から、そのイマジネーションを釣り上げてきて、表現されている人だからすごいなと思うんだけど、その視野自体がね、俯瞰した世界じゃないですか。
鳥が象徴として出てきますよね。鳥っていうのは全体を空から見て俯瞰してみる。全部見えるよね。それが自由でもあるわけじゃないですか。
そういうタイプ5的な世界というか、内にこもって探求しながら、それがすごい広い世界を展開していくみたいな。

物語の作り方として言うと、これって神様目線みたいな感じ。語って大きく分けて2つあると思うんだけど、主人公の主観的な目線で見てるのと、全体を語り手がその全部の登場人物を見ているのと。後者はどんなに立派な人でもどんなにダメな人でもニュートラルに見ていて、誰も取りこぼさないっていうか。『進撃の巨人』ってそういう目線ですよね。

だから、エレンが主役なんだけど、調査兵団の人もそうだし、すぐに死んでしまうというような人でも、一人ひとりがものすごく大切に描かれている。本来観察する人の目線というのはそれがあるんだと思うんですよね。

私たちもそういう目線で世界を見るとちょっと、自分の癖のある見方とは違ってくんじゃないかなと思うんですよね。

エレンに話戻しますけど、時々感情をあらわにするんだけど、あんまり出てこないですよね。全体にそうですよね。

感情的でもフィジカルでもない
巨人が出てくるんだけど、巨人はそんなにフィジカルじゃない。全体の世界観からそういう設定にはなってるんだけど、生殖器がない。そういうフィジカルなところってあまりなくて、感情もあまり表さない。

エレンのミカサに対する思いっていうのも、あんまり表に出てこないんですよね。でも奥の方に愛があるっていうか、そんな感じね。エレンと比べるとアルミンは感情が豊かかな。

この世界は残酷で、それで外の世界を調べに行ったら、自由があるんだと思ってた。でも、海の向こうは敵だったじゃないですか。

エニアグラムの図の内側にある線って、それなりの意味があるんですけど、タイプ5っていうのはタイプ8に繋がってるんですよね。

タイプ8っていうのは挑戦する人。いわゆるガッツエナジーの好戦的な人物。戦うのが好きな人ですよね。
そういう方向というのが出てくるわけですよ。
外に調べに行って自由になれるはずだったんだけど、海の向こうは敵だっていうことで、向かっていくっていうね。内側にあったものが外に出てくるんだけど、そこでの戦いっていうのも、すごく戦略的っていうか。ガンガン戦わない。

ファイナルのあたりまで来ても、まだエレンの本心が分からないみたいなところがありますよね。そういう感情とか思いを外に出さないタイプ。

それに比べてアルミンっていうのは、すごく内向的で弱い子だったんだけど、内面に希望があるんですよね。希望っていうか、夢みたいなのが。そこがエレンとアルミンが相補性っていうかな。お互いにないものをどっかで補ってるようなところがあって。
アルミンもすごく知恵があるんだけれども。アルミンに象徴されているのは、エニアグラム的な見方ですと、心の奥のその起源にさかなぼったところから湧いてくる、自分たちは自分たちでいいんだよ、っていうような希望。

エニアグラムのタイプで言うと、タイプ4自分の個性を求める人っていう、そのタイプに少し近いところがあるかもしれない。そういうところが、初期のアルミンにはあるかなと思います。内向的でとっても情緒も豊かで独特の感性を持っていて……。
ファイナルになると、筋トレでもしてるの?みたいな感じで、すごく体格も良くなってるんですよね、みたいな感じですけど。

ファイナルになって、とんでもない世界が展開していくんだけど、内向的な人って、外から見ると、なんだろうな、積極的にガンガン自分を押し出していく人よりも、大人しそうに見えるから、勘違いが起こってね。弱さみたいなものとつなげて理解されることがあると思うんだけど、実はその内側から出てきているエネルギーすごいんですよね。

作者の諌山先生もそうだと思うんだけど、あんなの10年かけて、すごい世界を作っていらっしゃる。内側にあるエネルギーがすごい。それが物語として外に出てくる。

この物語の中でだから今後ね、私はもうコミック全部読んじゃってるんで、ネタバレしちゃいけないと思っているんですけれども、ああいうふうになってしまうんだなーっていうね。
ちょっといろんな思いがよぎりますけど、ファイナルの後編が放送されたら、進撃ロスになる人もいるでしょうねえ。


真実は善悪を超えている
真実を知るそのエネルギーっていうのは、善悪を超えてるんですよね。だから、正義が勝つっていうような物語じゃない。まったく違った価値観の話ね。
これ、エニアグラムチャンネルなので、エニアグラムっていうことで言うと、例えばタイプ1完全さを求める人間。間違ってはいけない、正しいこと、自分は正しくあらねばならないっていうような気持ちがあって、実際にそういう行動を取っていく人の場合は、やっぱり物語としては正義が勝つ物語っていうか、そういうものを求めやすいっていうか、スッキリしますしね。正義が勝ってほしいよねっていうのあると思うんですけど。

仮に進撃の巨人をタイプ5的な世界というふうに読み取った場合にですけど、この世界っていうのは善悪とか正義とか正義感とか、そういうものを超えちゃってるっていう感じですね。そうだから、すごいんだと思うんですよね。

エニアグラムには9つのタイプがあるんだけど、その中でタイプ5を観察する人という、一つのパーソナリティの傾向があるんですよね。そこと『進撃の巨人』の世界観との共通点というか、そういうところで今お話ししています。

根底にあるのは、自分が無知無能であると生きていけないんじゃないかという恐れですね。
タイプ5っていうのは内向的な人ですね。自分の内側の世界があるんですけど、この進撃の巨人の世界っていうのは、無知無能であることを恐れる人類全体に共通なんだけど、無知無能であることを恐れるとどうするか、知りたい、知りたいっていう欲求が出てくる。

知りたい!知るためにどうするか
知るためにはどうするか、壁の向こうに出ていくわけですよね。壁の中では安全かもしれないけど、でも外の世界があるんだったらそれを探求しようとする。戦おうとするんじゃなくて、タイプ8であれば戦いたいですよね。巨人を全部倒してみたいな。しかも、それがかなりストレートな戦いになってくると思うんですよ。
でも、進撃に巨人の世界では、いろんな戦略を練り、そして負けてしまったりとか延々続くわけですよね。その敵っていうか存在ですよ、自分たちを脅かす存在っていうのは圧倒的な力として感じられる。でも、タイプ8であれば敵としてもうすでに自分たちが倒すものだっていうふうに、向かっていくと思うんですよね。

タイプ5的な愛?
進撃の巨人の世界では、調査兵団でやっていく。エレン自身のキャラクターっていうことで言うと、仲間を大事にするとかね、ちょっとやんちゃなところがあったり、無茶なところがあったりするから、エレン自身がタイプ5っていう感じではないかもしれないけど。ファイナルになると思考が見えなくなってきて、エレンが何を考えているのかわからなくなってくる。彼のミカサに対する愛情も全然表現がされない。なのに、その内側にはすごい愛があるんですよね。

タイプ5的な世界を持っている人っていうのはエモーショナルなところがないので感情っていうものが表に出にくいから分かりにくいんですよね。
愛っていうのは、エニアグラムでは感情のセンターの人、感情で物事を判断したりとか、感じるっていう能力が豊かな人は、場合によっては、愛を感情だと勘違いすることがある。たしかに愛も感情かもしれないけどそれだけではない。感情的に愛を表現されないと愛されてないんじゃないかとか、愛を伝えられてないんじゃないかって思ってしまう。愛は感情だけではない。

エレンの思考ってどんどんどんどん複雑になっていって、それが他の人にはわかりにくくなってしまっているんだけど、彼の愛情もよくわからないんだけど、言えることは、実は彼は自分のために戦っているのではないっていうか。

キャラによくみられるタイプ6的要素
最初の方、シンプルで単純な少年に見えた、エニアグラムのタイプでいうとタイプ6的な仲間と一緒に戦うぞみたいな、直情的なところもあったし。
物語の主人公ってタイプ6的な傾向で描かれることってわりとあると思うんですよね。『もののけ姫』のアシタカとか。だいたい「守るために戦う」っていうのは、信頼を求める人タイプ6的な発想っていうか、仲間を大事にする。その要素もあると思うけど、ファイナルになると一見冷たい人にも見えるじゃないですか。

どんどんどんどん感情が内側に秘められていく。根っこは単純だと思うんですよね。
愛について複雑になるのはやっぱり感情の豊かな人だったりするじゃないかと思いますよね。いろんな感情が湧いてくるので、例えば嫉妬とか、やきもち、独占欲とかっていう感情が、自分の中にたくさんある人たちの愛のテーマじゃないかなって思うんですけどね。

『進撃の巨人』の世界って美的な意味では、そんなに美しくないんですよね。こ最初にお話したんだけどこの世界は残酷なんだ、一見外側は平和で美しく見えても、そこの中を覗いてみると蝶々が蝶々を食ってた、残酷でグロテスクな世界ですよ。
自然の中ではそういった残酷さ、時には恐怖を引き起こすかもしれないグロテスクさっていうのがある。そこで生きていかなければいけないっていうところですよ。

エニアグラムっていうのは性格と本質っていうのがあって、タイプっていうのは自己理解の入り口に過ぎないんですね。本質というのは持って生まれたものだと考えられていて、それはどんな過酷な環境で育っても、おそらくその人の内にある。

『進撃の巨人』のなかで、それがうまく描かれているのは、リヴァイ兵長ですよ。あの環境で育って、人格が歪まないのがおかしいような、そういう過酷な環境での生まれ育ちですが、調査兵団の皆を指揮していく、最強の兵士ですよ。きれい好きという設定になっていますね。
まあ、それはご愛敬ですけれど、最近、精神医学や心理学用語を使って、ほとんどパーソナリティの病のような表現がよくされるじゃないですか。〇〇障害みたいな、ご自分のことをそんなふうに表現したり、他人のことをそう言ったり。じっさいに、きちんとした診療を受けてそういう診断名が下されたというようなのじゃなくて、わりと軽いノリで言われてることもあると思うのですよね。

キャラは本質を映し出
でもねえ、リヴァイ兵長で描かれているような、本質の表れっていうのがあるんじゃないかと思うのですよ。どんな環境で育ったにしても、本質から切り離されてしまっているかもしれないけれど、本質そのものはあり続ける。だから、それが潜在力として、育ち、その環境をのり超えて花開くことがあると思うの。過酷な生い立ちだと難しい面はあるにせよ。

私が物語が好きなのは、物語の中にはそういう可能性が描かれることが多いからなんですよ。わたしたちはアニメや映画、物語の中の登場人物に、思入れをすることがあります。
憧れることもあるかもしれない。周りにいるリアルな人間より、アニメキャラなど架空の人物の方に惹かれるということはありますね。それはたんなる架空の人物ではないような気がするのね。

リヴァイ兵長のような、調査兵団のみんなから信頼されるような人になっていく、物語っていうのはすごい希望を与えてくれますよね。

エニアグラムチャンネルではエニアグラムとその時のトレンドで気がついたこととか、いろいろお話ししてみようかなと思っています。ではここで終わりにしますともさまありがとうございました。

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