2018年10月28日(日)
エニアグラムをめぐる随想 その4 門外不出の口伝
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門外不出の口伝なら
なぜそれが広く一般に
流出したのか?


 エニアグラムはどこから来たのか? その起源は、イスラムのスーフィー教団に、門外不出の口伝として伝えられてきたものだとされていました。

 米国では一般の人々の間にエニアグラムが流布し始めたときからそのように伝えられており、1997年に出版された、鈴木秀子氏の『9つの性格』(PHP研究所)にもスーフィーに伝わる門外不出の口伝と書かれています。

 しかし、門外不出の口伝なら、それがどのようにして「門外」に広がることになったのか? そういう疑問を持つのは当然ではないでしょうか? ところが不思議なことに、ベストセラー、ブームとなると、「門外不出の口伝がいかに流出したのか?」に関心を持つ人はほとんどいませんでした。

 むしろ、多くの人にそれまであまり親しみのなかったイスラムのスーフィー教団が、文字通り何か神秘的な感じがしたし、それがエニアグラムを一般に印象付けることになったわけです。

 けれども、筆者はエニアグラムについて、自分自身が理解できていない段階で、右から左に「門外不出の口伝」と伝えることはできませんでした。

 そのころ、『エニアグラム進化論―グルジエフを超えて』(前田樹子著という本を読みました。その本の帯には、「性格タイプ論のシンボルに秘められた叡知の系譜」と書かれていました。この本を読めば、「門外不出の口伝」がどのようにして、門外に流出したのか、その経緯が分かるのではないかと期待して。

 その本の中で著者の前田氏は、スーフィー教団のなかで、エニアグラムタイプ論と結びつくような口伝が受け継がれてきたという証拠は見つけられなかったと述べています。

 グルジェフはたしかにスーフィーの思想に通じていたらしい。けれども、それが直ちに、「門外不出の口伝」に結びつくわけではない。エニアグラムがどこから来たのかという問いには、納得のいく答えが得られませんでした。

 その後、米国エニアグラム研究所のリソ&ハドソンのエニアグラムの来歴についての説明から、筆者が受け取ったのは、「エニアグラムはイスラムのスーフィーの思想のみならず、原始キリスト教、ユダヤ教、古代ギリシャの哲学、とくにピタゴラス、プロティノスの思想、そしてインドや東洋の思想とも通底する知恵の源泉に通じている」ということでした。

 エニアグラム図を西欧社会にもたらしたグルジェフは、東方教会の流れを組むキリスト教徒(おそらく)であり、イスラムのスーフィーの思想にも通じていた人物です。

  彼は古代に存在したはずの人間の精神の成長と可能的発展のための知恵が、中近東からアフリカのどこかに埋もれているはずという確信を抱いていたようです。

 宗教的な教えには外に現れたもの、たとえばオーソドックスなキリスト教として西欧社会に伝わってきたようなものがあります。外に現れたものは大衆化されたものといってもよいでしょう。

 その一方、外に現れない内部のもの、内部の奥深いところに隠されてあるような教えがあります。そのような教えは少数の高度な認識に通じているような弟子たちに教えられるというようなものであるらしいです。

 グルジェフが見出そうとしていたのは、その外に現れていない教え、すなわち秘教的な教えでした。

 秘教的な教えの源泉にたどりつこうとすれば、原始キリスト教、ユダヤ教、原始キリスト教に影響を与えた古代ギリシャの神秘思想に至り、数の神秘や天球の音楽理論を解いたピタゴラスの教えや絶対者についての考察を行い、「一者の流出説」を唱えた新プラトン派のプロティノスの名前があがってきます。

(キリスト教はユダヤ教から発展した。イエス・キリストはユダヤ教の教えを尊重しつつ、神との新しい契約をもたらした。ユダヤ教とキリスト教の経典は共通しており、キリスト教サイドからすると、それは『旧約聖書』と呼ばれ、イエスの十字架上の死と復活ののち、弟子たちによって編纂されたものが『新約聖書』と呼ばれる)

 キリスト教・ユダヤ教をさかのぼると、クムラン教団といわれる共同体を形成していたエッセネ派にたどりつきます。エッセネ派はユダヤ教の一派で清貧の修道生活を送ったとされています。

 クムラン教団に関しては、『死海文書』の発見で明らかになりました。1947年、ヨルダン川流域の死海の近くの遺跡で、ベドウインの羊飼いの少年らによって発見された古巻物が『死海文書』です。

 その大部分はヘブライ語で書かれており、紀元前250年ごろから紀元70年ごろのものとされています。彼らは知恵の教師であったと考えられています。洗礼者ヨハネやイエス・キリストがこのエッセネ派に属していたという説もあります。

 知恵の源泉はさらに歴史をさかのぼり、古代エジプト、バビロニアの文明にまでさかのぼることになります。少なくとも、グルジェフは彼の生きた時代に失われた高度な知恵は、そのころ発展したと考えていたようです。

 めまいがするほど遠くまで来てしまったので、話を元に戻し、次回は紀元3世紀のキリスト教教父エヴァグリオス・ポンティコスに焦点を当ててみたいと思います。


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