エニアグラム図の正三角形で結ばれた三つのポイントにある
タイプ3・タイプ6・タイプ3に共通するもの
通常は自分のセンターの機能とつながりにくいタイプ
②タイプ3、タイプ6、タイプ9は、他の6つのタイプとはセンターの不均衡のメカニズムが異なります。
これら3つのタイプは、通常の意識状態では自らのセンターの機能とつながっていない、または切り離されたような状態です。自分のセンターとのつながりがあるときには、残りの2つのセンターの機能とつながっていない、または切り離されたような状態になります。

タイプ3:目標達成する人・ステイタスを求める人【特徴】感情センターの真ん中にあるタイプ。感情センターの機能とつながっていない、切り離されている。かわりに思考センターと本能センターを使う。感情センターとの機能を使っているときは、思考センター・本能センターとつながっていない。
タイプ3は感情センターの真ん中に位置するタイプです。しかし、ふだんあまり自分の感情とつながっていません。タイプ3の人は、タイプを探し始めた当初、自分を思考のタイプだとみなすことがあります。
リソ&ハドソンによる問題解決の共通グループでは、タイプ1とタイプ5とともに合理型に属します。
確かに、タイプ3は合理的な考え方をします。効率を重視する人です。結果を求めます。目標を達成するためには、できるだけ効率よく、早く結果にたどり着くような方法を考えます。
タイプ3に特徴的な「合理的な思考」とは、思考センターのタイプ5のような「論理的な思考」とは異なります。タイプ3が得意なのは、たとえば「図でわかる〇〇」といった図解で説明するような考え方です。
多くのタイプ3は、自らの考えについて記述するよりも、しゃべる方が得意です。「図でわかる〇〇」はプレゼンテーションにおいて、非常に説得力のあるものかもしれません。しかし、それは思考タイプのような綿密な思考を積み上げたものではなく、イメージコンシャスなものになりがちです。
タイプ3は本来、感情センターに属するタイプであり、感情センターの各タイプは自己イメージにこだわりを持っています。タイプ3の認知機能の背景には、ちょうどパソコンの背景画面やスマホの待ち受け画面のように、感情のトーンがあります。
筆者はエニアグラムワークの中で、ときどきセンターの違いを理解するためのワークを行います。まずは、身体感覚に焦点を当てるために、自分の体について絵にかいてみるという作業を行います。すると、タイプによって身体感覚が違うことが、絵から見て取れます。三つのセンターには絵に現れるものからとらえられる明らかな違いがあります。
別のワークでは「考え」と「感じていること」とを分離することの難しさに、多くの人が気づきます。
さて、感情センターにおいて大切なのはイメージです。イメージであれば、それは思考空間における思考のプロセスをたどるように時間はかからないのかもしれません。
もっとも、思考機能を使っていなくても、自らの内にある感情にとどまっていては動けません。感情とつながり、感情を味わっているときは、効率よく動けないでしょう。
しかし、通常の自我状態にあるタイプ3は効率的に動けます。それは自らの感情とつながっていない状態です。
この時、タイプ3は自らの感情の機能を切り離し、代わりに本能センターと思考センターを使っています。本能と思考のごたまぜ状態です。
タイプ3の問題として、ワーカホリックになりやすい傾向が挙げられます。なぜ、それほど働けてしまうのか。それは、思考センターと本能センターの機能がまじりあうことによって、頭に浮かぶ考えを躊躇なく行動に移せるからなのかもしれません。
タイプ3の人は自らを機械や自動車に例えることがあります。メンテナンスをすれば動く機械、ガソリンを入れれば走る車のように。通常は感情抜きの機能的なモードを使っているわけです。
タイプ3における思考は思考センターにおける思考のプロセスをたどるものではなく、感情的なトーンの上に浮かび上がるイメージであるならば、行動へと移ることにためらいはありません。
しかし、本来、感情センターであるタイプ3は、あるとき自らの内面に感情が浮上してくることがあります。そのときの感情は、明るくポジティブなフィーリングとは違っていることでしょう。自らの感情と触れ合うことによって、タイプ3の本能と行動のまじりあった「機能モード」(リソ&ハドソン)がスローダウンしてしまいます。
そうすると、通常の自我状態にあるタイプ3はふだんのように機能的に動けなくなり、引きこもってしまうことになるでしょう。
じっさい、タイプ3のキャリア女性から、自信をなくすと誰にも会わず部屋に引きこもってしまうことがあるという話を聞いたことがあります。引きこもっているときは無気力になるそうです。
しかし、それはまだ再び機能モードに戻れる充電の時になるかもしれません。
タイプ3の自我状態がより狭まってくると、むしろますます自らの感情とのつながりを失い、思考と本能のごたまぜ状態のエネルギーによって突き動かされ、行動に駆り立てられることになります。そして、自分の成功につながることなら何でもするということになるかもしれません。
やっかいなのはタイプ3における感情的な囚われは虚栄であり、思考における囚われ=固着は欺瞞です。虚栄は他者にたいしてふりまくものですが、欺瞞は自己欺瞞という形になり、自らを欺くものです。
自己欺瞞という認知の歪みを持つ人が、自己欺瞞に気づくということはなかなかむずかしいでしょう。
タイプ3においては、自らの感情とつながることが必要になってきます。イメージや偽りの感情ではなく、リアルな感情とつながることです。自信を無くし、輝けない自分であっても、虚栄の下にある自分自身の、素の自分を見透かされることへの恐れや恥の感覚ともつながりなおすこと。それができれば、タイプ3の人は自らの真実を生きることができるのでしょう。
健全なタイプ3は自らの真の感情とつながっていられます。彼らは”本物”です。

タイプ6は思考センターの真ん中にありながら、通常の自我状態では思考機能をあまり使っていないタイプです。自らの思考機能を切り離し、代わりに本能と感情の入り混じった機能を使っています。これは思考センターの機能を使わずに動いているということになります。
義務に忠実、ルールを守る、規範に従う、などは、タイプ6の長所でもありますが、場合によってはそれが短所になることがあります。それは自らの思考を用いずに、ただただ自らが従うべきことに従い、その通りにやっているに過ぎないことがあるからです。つまりは、思考のプロセスを経て行動するのではなく、ただたんに機械的に従っているに過ぎないわけです。
タイプ6が自らのセンターである思考の機能を用いると不安になります。後から後から、様々な考えが浮かんでくるのですが、その考えの多くが現実には起きていないネガティブな可能性に関わるものです。
じっさい、タイプ6の人と話していると、何かチャレンジ的なことや冒険的なことについては、「もし、こうなったらどうするのか」と、その失敗の可能性について言及することがよくあります。
頭の中の思考は不安を呼び起こします。思考センターの各タイプは、他のセンターのタイプより不安を感じやすい傾向にあるとも言えます。タイプ5は「知る」ことによって、不安を解消しようとします。タイプ7は不安などなさそうに見えるかもしれませんが、頭の中に不安が萌し始めても、それを不安とはとらえず、「退屈」と感じ、退屈になればすぐ動き出すというように、自らのセンターの隣にある本能センターを使い始めるわけです。
タイプ6の場合は自らのセンターを切り離し、本能と感情の入り混じったものを使っていれば、不安にはなりません。けれども、もとより思考のタイプであるわけですから、その背景には思考のトーンがあります。
タイプ6の人がタイプを探し始めたころ、自分をタイプ4と間違えることがよくありますが、それは自分が思考を使っているということがとらえにくく、ふだん感覚的に人の反応をよく見ている部分があるからでしょう。
タイプ4の場合、タイプ6のように他者に対して感覚的な注視はしていません。それは両者のふだんのまなざしを注意してみるとわかります。タイプ6の人は周囲の状況を把握するのに視覚をつかっています。視線がよく動いています。その一方、タイプ4の人は周囲を観察するよりも、まなざしそのものが自らの内に向かっている感じがあります。
通常の自我状態では思考を使わず、義務的なモードで動いているタイプ6は、より意識状態が狭まってくると、不安のトーンを解消するために思考を使うよりも、ますます何かに頼ろうとするでしょう。不安とともに浮かぶ思考はほとんどが妄想のようなものになるでしょう。そこから逃れるために、なにかすがれるものを求めようとするかもしれません。このときには、自ら考えるということができにくくなり、何らかの権威や信念などに盲従したり、ますます妄想的な世界に入っていってしまうかもしれません。
タイプ6にとっては、本能と感情のごたまぜ状態で考えなしに動くのではなく、思考のセンターとのつながりを取り戻し、本能と感情と思考の三つの機能をバランスよく働かせることが望まれます。
本来の自分とつながるという点においては、呼吸が大事になってきます。深い呼吸によって、頭の中に湧き上がる不安なトーンを帯びた雑念や妄想を鎮める必要があります。
健全なタイプ6は信念があり、誠実で、勇敢です。

タイプ9:平和を作り出す人・平穏無事でいたい人【特徴】本能センターの真ん中にあるタイプ。本能センターの機能とつながっていない。かわりに感情センターと思考センターを使う。本能センターの機能を使っているときは、感情センター・思考センターとつながっていない。
タイプ9は本能センターの真ん中に位置していますが、ふだんの自我状態では自らのセンターの機能から切り離されたような状態です。
代わりに、思考センターと感情センターを使っています。筆者が行ってきたワークショップのなかで、これまで多くの人が、自分の感情と思考をあまり区別せずに使っていることがわかってきました。「それは考え」なのか、それとも「感じたことなのか」という区別がつきにくいことが多く、そのようにあらためて問うことで、「いや、これは感じたことであって、考えではない」あるいは「今述べたのは考えであって、感じたことを話したわけではない」というふうに整理されてきます。
とくにタイプ9の人は自らの思考と感情の区別がつきにくいようです。筆者のワークショップでは、そもそも感じていることと考えていることがどう違うのかよくわからないという人もいました。通常の自我状態では思考と感情のごたまぜ状態にあり、そのとき動作センターである本能は使えていません。
それが、なんとなくぼうっとしている状態とか、その場にいながら意識がどこかにいっているような状態ということなのです。タイプ9の人が自らのセンターから切り離された状態だと、どことなく心地よいような、白昼夢のなかにいるような感じになります。
その一方、タイプ9が行動に移ると、それは本能のエネルギーを使い始めることになるのですが、その場合、思考センターとも感情センターともつながっていません。考えたり、感じたりしながら、行動するのではなく、ただ惰性のような感じで動いてしまう。
そのため、自我状態が狭まるほど、とくに頭を使わなくてもできるようなことをいつまでもやり続けるとか、大事なことやいまなすべきことの優先順位が付かず、ただただ雑用にかまけてしまったりということが起こりうるわけです。
さらに、自我状態が狭まってくると、自らのセンターである本能センターの機能から遮断され、ただただぼうっとしているような状態になってしまうかもしれません。そのような状態において、心地よい妄想のような空想をどうどうめぐりさせながら、いつまでも反芻し続けることになります。
健全なタイプ9は自らのセンターである本能センターとつながっています。地に足がつき、落ち着いていられます。白昼夢のような空想の中に退却してしまうことなく、自らの思考や感情を使いながら行動するでしょう。忍耐強く大きな夢や計画を実現するために行動できる人です。