通常のタイプは自らのセンターの機能を適切に使えていないー隣のセンターの機能を巻き込む「ごたまぜ状態」のタイプ
各タイプがどのようにバランスを欠いた状態にあるか?
センターの不均衡-1でとりあげた➀のグループの方から見ていきましょう。

【特徴】本能センターのタイプで感情センターと隣り合っている。
本能センターのタイプ1は隣の感情センターの機能を巻き込み、怒りの感情によって行動があおられる
タイプ1は本能センターのタイプで本来は地に足の着いた人です。けれども、本能センターのエネルギーがもつれると腹の中から怒りがわいてきます。
しかし、タイプ1は怒ってはならないと自らの怒りを抑え、抑圧しようとします。それによって、怒りそのものがなくなったわけではなく、抑圧された怒りはイライラとなってくすぶっています。身体的なエネルギーで自らの怒りを抑えるような感じになり、そのために肩や腰、背中にコリが生じたり、奥歯をぐっとかみしめたような状態になることがあります。
本能センターは動作センターとも呼ばれる(グルジェフ)ように身体的エネルギーで動きます。タイプ1の場合、そのとき隣のセンターである感情センターのエネルギーを巻き込んでしまうのです。
タイプ1は怒りという感情に突き動かされます。それは”正義”の怒りですが、怒りであることに変わりはありません。
たとえば、自己保存本能優位のタイプ1であれば、「散らかっていてきたない、ああもう、耐えられない。片づけよう」ということになるかもしれません。そこには、「片づけは楽しい、掃除ができてうれしい」という気持ちがあるわけではなく、この散らかっている状態に我慢できないものがある。それによって突き動かされるわけです。
また、たとえば社会本能が優位なタイプ1であれば、「今の世の中は堕落している、もっといい世の中にしていかなければならない」というとき、そこにもなにか怒りのトーンが含まれていることがあります。「男女差別は許せない、絶対に許さないぞ」「戦争反対、断固反対!」などというときにも、くすぶったような怒りの放出が感じられます。
正義の怒りはそれ自体、必ずしも悪いものではありません。”義憤”という言葉があります。世の中の悪や不正、不平等、不条理、そういったものを正すために立ち上がるには、相当なエネルギーが必要です。
怒りだけが伝わってしまわないか?
しかし、いかに正しい意見であれ、理想をめざす運動であれ、善い行動であれ、その根底に怒りのトーンがあれば、周りの人の共感を得にくくなります。なぜなら、周りの人には改革者としてのタイプ1の正しさよりも、むしろ怒りの感情の方が伝わってしまうからです。
これがタイプ1を突き動かすエネルギーでもあるわけですが、自らのセンターの機能と適切につながっていないと、感情的な怒りが放出されてしまうのでしょう。
もし、あなたがタイプ1であれば、あなたの正義や正論が受け入れられないとき、もしかしたらあなたがほんとうに伝えたいことよりも、あなたを行動に駆り立てている感情の方が強く伝わってしまっているからなのかもしれません。
理念は正しいもの・善きものでありながら、実際にはなかなか浸透しない社会運動があります。そういうもののなかには、エニアグラム的に見て、このタイプ1に見られるセンターの不均衡のようなものが反映しているのかもしれません。つまりは、正義と理想のための運動が、怒りのプロパガンダになってしまっているのかもしれませんね。
タイプ1においては、この段階でまだ巻き込まれていないのは思考センターの思考の機能です。タイプ1の思考はまだ思考として働いています。そのため、タイプ1の人は自分自身を思考センターのタイプだと思うことがあります。リソ&ハドソンによるハーモニックグループ(問題解決における共通のタイプ)においても、合理型とされています。
タイプ1は冷静に落ち着いて考えることができるわけです。とはいえ、タイプ1の思考は思考センターのそれとは違っています。タイプ1の思考は抽象的なものではなく過去の経験に基づくものです。それは「考え」というより「意見」と言った方がいいかもしれません。
より自我の意識状態が狭まってくると、この思考機能も巻き込まれてしまうことになります。そうなると「これが絶対に正しい」という意見に根拠がなくなってくるでしょう。より狭量な主義主張、原理主義的になっていくのかもしれません。
いずれのタイプにおいてもそうですが、まずは自分自身のセンターとのつながりを取り戻すことが必要になってきます。
本来のタイプ1は地に足がつき、落ち着いている人です。

タイプ2:人を助ける人・必要とされたい人
【特徴】感情センターのタイプで本能センターと隣り合っている。
感情センターのタイプ2は隣の本能センターの機能を巻き込み、感情がわきあがるとそれが行動に直結していきます。
感情センターのタイプ2は本来とても感情の豊かな人です。タイプ2は通常、ネガティブな感情はあまり表に出さず、ポジティブな感情を表現します。「人を助ける人」と呼ばれ、他人のニーズを気遣い、自分の事より他人のことを優先して働くような人です。人と人との気持ちの触れ合うような親密な関係を築こうとします。
タイプ2が自らの感情にとどまっていれば、まだ本能センターの機能を巻き込んだ状態とはいえません。しかし、タイプ2は感情が沸き起こり、気持ちがこみあげると、すぐに本能センターのエネルギーで動いてしまうわけです。
たとえば、「あら、あの人困った様子をしているわ」と感じると、すぐに「だいじょうぶですか」とその人のそばに近寄り手助けしようとするといった感じです。
それは別に悪いことではありません。タイプ2の人が人に親切にすることができ、じっさい困っている人を助けてあげられるのは、そのように気持ちの動きと同時に行動が伴ってくるからです。タイプ2の人がじっさい介護や福祉などの仕事に向いているという場合、気持ちのやさしさと気配りだけではなく、じっさいにすぐに動ける、よく働くことができるからでしょう。
けれども、自らのセンターの働きを自覚していないと、タイプ2は感情だけで動いてしまうことになります。
以前、朝日新聞にある作家のエッセイが乗っていました。その内容はおおよそ次のようなものでした。その作家には障害をもった息子さんがいて、ときどき発作を起こすことがあるのだけれど、あるとき散歩の途中か何かで外で発作を起こしてしまった。
そのとき、すぐに駆け寄って助けてくれようとした女性がいた。けれども、知らない人が近づいてきたために息子さんはかえってパニックになってしまった。作家はそのとき、少し離れたところに携帯を手にした女子高校生がいて、その携帯を示しながら何かあったら救急車を呼べるからというようなしぐさで合図をしてくれているのに気づいた。作家はエッセイの中で、どちらが本当の思いやりであり親切かというと、後者の高校生の見守りの態度だったというふうな内容で締めくくっていました。
タイプ2が感情センターの機能に本能センターのエネルギーを巻き込んでしまったとき、まさに作家が体験したすぐに駆け寄ってきた女性のような動きをしてしまうのではないでしょうか。その時、状況を冷静に判断するということができなくなっています。
感情センターに本能センターが巻き込まれるとじっとしていられない
40名ぐらいの学生対象のセミナーでタイプ2の学生が多かったことがあります。セミナーの終わりごろ、学生たちに手伝ってもらいたいことがあったのですが、そのときすぐに手伝いをかって出てくれたのがタイプ2の学生たちでした。何種類かの資料を参加者に配布するような作業なのですが、ちょっと込み入ったところがありました。学生たちはすぐに動き出してくれたのですが、すぐに資料を配布し始めたために、ごちゃごちゃしてしまい、やたらと時間がかかってしまいました。
このようによい感情だけですぐに動き始めると、合理的な作業の段取りをつけてから動いたときよりも、ただただも時間と労力がかかることもありうるわけです。
タイプ2はタイプ1と同様、感情センターに本能センターを巻き込んでしまっているときでも、まだ思考センターの機能はそこに巻き込まれていません。ただ、タイプ1と違って、タイプ2は通常、あまり考えていません。タイプ2の人は自らの思考の機能、グルジェフの言うところの知性センターを働かせていない、というかそれほど重視していない。
そうすると、通常の自我状態においては、自らの内に湧き上がる感情によって行動していることになり、そこに思考による判断が働いていないということになります。
ときに、タイプ2の人は感じたことをぽろっと言葉に出してしまうことがあります。考えなしに口にしてしまった言葉は、本人の意図とは違って誰かを見下したり傷つけるような言葉になっていることもありえます。もとよりいい人でいたいタイプ2ですが、熟考を欠いた言葉や行動には表面にあらわれる「わたしはいい人」の奥にあるパッション、高慢が浮かび上がってきてしまうこともあるでしょう。
タイプ2の自我状態がより狭まってくると、感情と本能に加え、思考のセンターを巻き込んでしまうことになります。論理の筋道を追って考えることも合理的に判断することも難しくなってくるでしょう。
「好きなものは好き」「かわいそうな人はかわいそう」
自らの感情を他人に投影してしまうこともあるかもしれません。思い込みの世界に入っていってしまうかもしれません。
この段階におけるタイプ2にとくにすすめられるのが、バイロン・ケイティのワークです。リソ&ハドソンはバイロン・ケイティのワークを高く評価しています。
タイプ2はいったん、自らの感情センターと本能センターを切り離して、まずは感情センターに留まる。つまりは感じたことを感じたままにすぐ行動に移すのではなく、いったん落ち着いてその行動が適切であるかどうかを考える(ここで思考センターが使える)ことが必要かもしれません。
本来のタイプ2は愛情深くあたたかく謙遜な人です。

タイプ4:個性的でありたい人・情緒豊かな人
【特徴】感情センターのタイプで思考センターと隣り合っている。
感情センターのタイプ4は隣の思考センターの機能を巻き込み、自らの感情を思考によってあおる
タイプ4は感情センターのタイプで、繊細で情緒豊か、自らの内面の感情を味わう人です。タイプ4は自らの感情を隣のセンターである思考によって強めようとするところがあります。
自らの内面の感情と自分自身を同一化しやすい面があります。タイプ4は内向的で空想的とも言われますが、空想の中のイメージは、過去に向かいやすい傾向があります。過去に体験したことについて、ある種の感情を抱いています。そして、その感情を思考によって強めようとするのです。
「いま一人でお茶を飲んでいる。外は雨、そういえばあのときも雨が降っていたわ……」
どちらかというとメランコリックで物悲しい過去のイメージ。美しい過去。なぜ、過去は美しく感じられるのか。それはすでに手に入らないものだから。失われた時を求めて、空想の中にたゆたう感情。
タイプ4にとって、いやタイプ4とは限らないかもしれないが、とくにタイプ4は過去を美化する傾向があると言われます。
あなたが想う過去は過去そのものではなく過去についての物語
空想の中で失われた過去の思い出にひたり、過去について考えることでより自らの感情を強めていく。タイプ4が過去といっているものは、過去の事実ではありません。もっとも、誰にとっても、過去に事実というものは知る由もないのかもしれませんね。私たちは過去を何らかの色合いに染め上げていると考えられないでしょうか。
タイプ4の場合はいま感じていることから過去への空想へと向かい、過去に感じていたかもしれない感情について考えることでその感情をより強め、現在の気分として釣り上げてくるといった感じかもしれません。
そこで、多くの人が思い浮かべるのがフランスの作家プルーストの『失われた時を求めて』ですね。
感情を思考によって強めているそのとき、タイプ4にとって本能センターはまだ巻き込まれていません。空想の世界から自らをいまここに引き戻すには、本能センターに働きかける必要があります。タイプ4の統合の方向はタイプ1ですが、これは本能センターのタイプですね。
本能センターに働きかけるというのは、身体的なエネルギーとつながることです。散歩をするとか、体を動かすことをするとか、日々やるべきことを行動に移すといったことがタイプ4にとって、センターのバランスを整えるためにも必要になってきます。
タイプ4の自我状態がさらに狭まってくると、本能センターも巻き込まれてしまうことになります。日常的な生活や本能的なニーズを満たすための行動ができなくなってきます。
「今、食べたい気分じゃないから、食事はいらない」
タイプ4においては、まずは自分の感情と思考を切り離し、自らの感情の中にとどまりつつ、感情によって左右されないことが必要かもしれません。タイプ4は感情を思考によって強めることに、思考センターのエネルギーを使ってしまっていますが、感情と思考の区別をしたいですね。
そのためには、本能センターを適切に使うということも必要になってくるでしょう。
タイプ4とおぼしき作家など、長くコンスタントに作品を生み出している人は、毎日ジョギングをしているとか、水泳をしているなど、本能センターのバランスを保つための運動をしていることが多いようです。
タイプ4は本来、情緒豊かで繊細であり、表現力の豊かな人です。タイプ4の自己表現欲求は、感情・思考・本能の三つの機能がバランスよく働いているときこそ、最もうまく発揮されるのではないでしょうか。
個人的な体験が普遍的なものとなり、人々の共感をえるものとなるには、センターの機能をバランスよく整えることが必要ではないかと思います。
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⇒センターの不均衡について-4:タイプ3、タイプ6、タイプ9 準備中
⇒本能・感情・思考 3つのセンターとエニアタイプについて