目に見える性格の違い
たとえば、おとなしい子、活発な子、人懐っこい子など。性格の違いは幼いうちから見て取れるところがあります。小学校に上がり、集団生活が始まると、ますますそういった性格の違いが際立ってきます。
小学校は子どもにとって社会生活の始まりの場です。そこには守らなければならないルールや約束事があり、他の子たちとも仲良くやっていかなければなりません。学校生活を通じて、子どもたちは社会に適応していくために、自分がどう振舞えばいいのかを学んでいきます。性格とは、社会への適応の形式であるといってもよいでしょう。
教室にはいろんな子どもがいます。授業中に自分から手をあげてハキハキと答える子、おしゃべりな子、動き回る子、先生に甘えてくる子、友達を大切にする子、みんなのあとからついてくる子、物静かな子、引っ込み思案な子、まじめな子など、集団のなかだからこそ、その子の性格が浮かび上がってきます。
積極的な子・協調的な子・引っ込み思案な子
集団の中での態度や他人との関わり方、距離の取り方から、性格の違いを見ると、子どもの性格は共通の特徴を持つ三つのグループに分類できます。
一つめのグループは「元気でハキハキとした態度」「何でも自分から積極的にやろうとする」「負けず嫌いで競争心が強い」「みんなの中心であろうとする」といった傾向の強い子どもたちです。自己主張が強いため、自己主張的なグループといえるでしょう。
二つめは「周りに合わせる」「みんなのことを考えて行動する」「親や教師の期待にこたえようとする」「言われたとおりにやろうとする」などの特徴をもつ子どもたちです。集団のなかでの自分を意識して行動しているところから、協調的なグループとか、人に従うという意味で、追従的な傾向の強いグループと言えるでしょう。(日本語の「追従」という言葉には若干否定的なニュアンスが感じられるので、以下「協調」という言葉に置き換えます。
そして、三つめは「引っ込み思案でおとなしい」「ほかの子たちから離れている」「集団のなかでは口数が少なく物静か」「空想癖がある」といった傾向の子どもたちで、自分と他人との間に見えない壁のようなものを築き、その壁の内側に引きこもる傾向から、遊離的な傾向の強いグループと言えます。
自己主張的な傾向の強い子どもは、何事も自分中心に考え、自分の欲求を通そうします。目立つことをするのが好きです。行動が早く、自分の思ったことをはっきり口にするので、大人にはわかりやすいタイプです。
協調的な傾向の強い子どもは大人のいうことに従い、周りのみんながどうしているかが気なり、自分の欲求を押し通すことはわがままと感じるでしょう。困っている子を助けてあげようとしたり、決まりを守らない子や悪いことをしている子がいると、自分から注意しようとしたり、大人に告げ口するのは協調型の子どもに多くみられる傾向です。協調型の子どもの中には、自分の意志というよりは、仲間にひっぱられて、仲間と一緒の行動をする子もいます。
遊離的な傾向の強い子どもの多くは、グループでの行動を好みません。ひとりでいることが多く、たとえみんなと一緒にいても静かにしているでしょう。みんなのなかで自分を強く主張することもなく、友だちと派手な言い争いやけんかをすることもまれでしょう。空想癖の強い子は、はたからみるとぼうっとしているように見えることもあります。学校ではみんなより行動が遅く、なかなか宿題を提出できないとか、給食を食べ終えられないという子もいるでしょう。
同じ状況でも性格によって態度が異なる
たとえば、ここに何か子どもが魅力的と感じ、たいていの子が欲しがるようなものがあったとします。それを「欲しい人にプレゼントします。欲しい人いますか? 早い者勝ちですよ」といえば、自己主張的傾向の強い子どもであれば、ためらいなく「はい」と手を上げるでしょう。
協調的な子どもは、そこが「はい」とすぐ手を上げていい場所かどうか、そういうことが許されるかどうか、周りの状況や雰囲気を読み取ろうとするでしょう。そして、「みんなはどうなの」ということを気にします。自分の他にも欲しい子がいたら、「じゃんけんにしようか」とか「くじ引きで決めよう」と言い出すかもしれません。みんなで分けられるものであれば、公平に分けようという子もいるでしょう。
遊離的傾向の強い子どもであれば、たとえそれが欲しいものであっても、自己主張的傾向の強い子どものように、すぐに「はい」と大きな声で手を上げるようなことはしないでしょう。ゆっくりと静かに手をあげるか、欲しくても態度に示さず、黙っている場合があります。他の子たちがいるなかでは、自分からはなかなか「欲しい」とは言い出せないのです。よくよく尋ねてみれば、「欲しいです」というような意思表示の仕方をする子もいるでしょう。
遊離的な傾向の強い子どもは、自分の他にもそれを欲しいと言っている人がまわりにいたとすれば、その中では最初から自分に勝ち目があるとは思えないようです。くじ引きやじゃんけんで決めるというやり方をすれば、こういうタイプの子どもたちにもチャンスを与えることができます。なかには「みんなが欲しがるものなんか、自分はいらない」と思うような子もいます。ほんらい、他の子と比べたり競い合うような、競争意識というものがあまり強くないのです。
遊離的な傾向の強い子どもは自分の思っていることを表に出さない傾向があるため、親や教師など周りの大人は、その子が何を考えているのかわかりにくいところがあります。
こういった性格の傾向は、基本的には大人になっても変わるものではありません。もちろん、成長するに従い、社会性を身につけていくことによって、自己主張的な傾向の強い子どもも、自分中心的な態度から周りのことを考えて行動する大人になり、協調型でとくに追従的な傾向の強い子どもも、主体性を持って行動し、必要なときには自己主張できる大人になりえます。遊離的な傾向の強い子どもも、人前ではっきり自分の意見を主張したり、人付き合いの上手な大人になりうるでしょう。
成長するにつれ、これら三つの傾向が極端に偏ることなくバランスが取れるようになることが、現代の社会に適応していくためには必要といえるかもしれません。じっさい、うまく社会に適応している人は、これらのバランスが取れていることでしょう。
ただ、年齢や経験を重ねても、性格の基調にある傾向はなくならないようです。たとえば、一見とても社交的で人前でものおじすることなどなさそうみ見える人でも、子供のころは内気で引っ込み思案でだったという人がいます。その人が本来、遊離型であり引っ込み思案な性格だったとしたら、社交の場に出ることになれているように見えても、それはその人が社会生活上身に着けてきたもので、行動としては社交的に見えるが、その中にあるのはやっぱり、あまり人前には出たくないというような思いであったりするのです。
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親の態度と性格 目に見える違い
PTAの集まりなどで見かける親の態度にも、こういった違いが現れています。たとえば、お母さん同士、相手がどんな人かわからないと気を使うことも多いもの。ですが、なかには誰とでもこだわりなく話ができる社交的なお母さんもいるし、自分から手をあげて、役員を買って出たり、リーダーシップを発揮しようとする人もいます。
人は人、自分は自分と言う人もいるし、みんなが遠慮してなかなか口に出せないことをはっきり言ってくれるような人もいるでしょう。こういう人たちの多くは自己主張型です。
周りの人に気を使い、「みんなはどう思っているのかしら」「どうなのかしら」と様子をうかがっている人は、おそらく協調型でしょう。協調型の人たちは知っている人がいれば、その人の近くにいるのが安心で、お互い気の会う者同士でグループを作る傾向があります。また、ホンネとタテマエを使い分け、相手によって態度を変えます。役員などを頼まれたら、義務感や責任感でひきうけるでしょう。「だって、お互い様ですものね」と。
遊離型の親なら、PTAの集まりなどにはできることなら出たくないし、社交的な場所は苦手です。遊離型の人は、押しの強い人やアクの強い人がいると、つい引いてしまいます。役職などもなるべくなら引き受けたくないというのがホンネで、できることなら辞退したいけれど、そうもいかないとなると、なるべく目立たない役を願うでしょう。
親子でも異なる性格の傾向から起こりうること
親子でもこの傾向は違っていることがあります。たとえば、親は社交的で、上昇志向が強いのに、子どもはおとなしく目立たない。逆に、親はおとなしく控えめな人なのに、子どもはやたらと元気でやんちゃ。親は厳しく教育熱心なのに、子どもはのんびりしているなど。兄弟姉妹がいれば、また違った傾向があるでしょう。親子、兄弟姉妹の性格は、いろんな組み合わせが考えられます。
もし、親と子の性格傾向が大きく違っていると、親はわが子に手を焼くかもしれません。子どもの方に何か問題があると思って悩むかもしれません。
自己主張型の親ならば、自分の子どもにも人前でものおじせずハキハキとした態度を取ることを望むでしょう。勉強やスポーツでは「一番になりなさい」とか「他の子に負けないで」といいたくなるでしょうし、わが子が友だちからひどいことを言われたり、いじめを受けていると知ったら、「言われたら言い返せ」「そんなことでひきさがるな」「やり返せ」などと叱咤激励したくもなるでしょう。
子どもが親と同じ傾向を持っていれば、子どもも「よし、負けないぞ」「一番になろう」とがんばるだろうし、「言われたら言い返せ」といった親の言葉も、すんなり子どもの心に入ってくるはずです。
けれども、もし自己主張型の親に遊離傾向の強の子どもであったならば、どうでしょう。友達と競争などしたくない。やるなら自分のペースでやりたい。ひどいことを言われても言い返すようなことはできない。したくない。だから、親が考えているような土俵には乗ってこない。これがなかなか、自己主張型の親には理解できません。
協調型の親であれば、よくわが子に「わがままはよくない」「自分勝手はいけない」「みんなのことを考えなさい」などと言っているでしょう。協調型の親は、子どもの自己主張をわがままととらえ、「あなたは我慢しなさい」と言うかもしれません。自己主張的な傾向の強い子どもは、それによって本来その子がもっている伸びやかさを押さえつけられてしまうことがあるかもしれません。
親が子供の傾向を理解していないと起こりうること
遊離的な傾向の強い子どもなら、成長するに従い、世の中の常識や世間体にこだわる追従型の親のことを、「お母さんやお父さんには自分の考えがない」「親にはわたしのことが理解できない」と感じるかもしれません。
協調型の親はホンネとタテマエや内と外の区別があり、他人に対して向ける顔と家族のなかで見せる顔とが違っていることがあります。本人はあまり意識していなくても、遊離的な傾向の強い子どもなどは、親の言葉や態度の変化を敏感に察知していることが多いものです。
親が遊離型であれば、とくに自己主張的な傾向の強い子どもはエネルギーが強すぎるように感じられ、なかなか受け止めることができないかもしれません。母親が「うちの子は元気すぎてついていけない」とこぼしているとき、親が遊離型で子どもが自己主張型といった組み合わせの場合がよく見られます。
子どもがどのような傾向をいちばん強く持っていようと、それはその子の個性であり、長所にもなれば短所にもなりうるものです。ですから、どの傾向が強い子が望ましいとか望ましくないといった優劣の判断を持ち込むべきではありません。
ですが、どうしても、そこに親自身の期待や価値判断が働いてしまう場合があります。また、学校というのは集団生活を営む場所ですから、「先生の言うことをよく聞き、決まりを守って過ごすこと」「誰とでも分け隔てなく付き合い、みんなと仲良くすること」が大切だとされています。
そうすると、学校での評価はおのずと、協調的な傾向の強い子どもがよいということになるかもしれません。日本の学校そのものが協調型の価値観をよしとするものです。先生の中にも協調型の人がいて、自分が協調型であれば、協調性のある生徒をより評価するかもしれません。その一方で、内向的でみなと一緒の行動が取りにくく、ほかの子よりも出遅れがちな遊離的な傾向を持つ生徒に対しては、否定的な評価を下すというバイアスがかかりやすいといえます。自己主張型の生徒に対しても、協調性が欠けるという見方をするかもしれません。
教師の人間性にもよるのでしょうけれど、遊離傾向の強い子どもにとって、とくにいまの小学校はあまり居心地のいい場所だとはいえないでしょう。
子どもを取り巻く環境のなかにいる大人が、その子と似たような性格傾向を持っているほうが理解しやすい面があるでしょう。また子どももそういった自分に近いところのある大人に対して心を開きやすい面があります。
遊離的傾向の強い子どもは、同様に遊離型の大人と波長が合いやすく、同じような性格傾向のお兄さん、お姉さんといった年長者や大人の指導者が周りにいて、その子の長所を引き出す手助けをしてあげられるとよいと思います。
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