2018年11月14日(水)
エニアグラム研究アーカイブ 2
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クラウディオ・ナランホをめぐって
理辺良保行(りべら・ほあん)教授に聞く



 エニアグラムアソシエイツで2001年に発行した「エニアグラム研究2」には、エニアグラムとは何か、どのように取り組んでいけばいいのかということについて、貴重なヒントとなる記事が掲載されています。
 
 以前、アソシエイツのHPにPDF版で掲載していたものをここに順次、再掲載しています。

 はじめに、『エニアグラム研究』の読者のために、リベラ先生のご紹介をさせていただきます。リベラ先生はスペインのご出身(現在は日本に帰化しておられます)で、上智大学人間科学部の教授であり、カトリックのイエズス会の司祭でもあられます。エニアグラムアソシエイツの木ノ内・後藤・中嶋と同期(1997~98 年)に、日本エニアグラム学会の理事をお務めになり、『英語でエニアグラムを学ぶ』特別講座や上級者のためのワークショップでもご指導いただきました。

 また、リベラ先生は 1994 年にクラウディオ・ナランホを日本に招聘するためにご尽力された方でもあります。そこで、今回はリベラ先生に当時のことを含め、ナランホをめぐってのエニアグラムについてお話を伺うことにしました。

 ※理辺良先生へのインタビューを再掲載するための準備をしていたやさき、先生の訃報が届きました。理辺良保行先生(上智大名誉教授・カウンセリング心理学)は2018年11月5日、滞在中のスペインで亡くなられたそうです。享年80 

 理辺良先生はとてもユーモアのある方でした。インタビューのために研究室に訪問した時も、お土産に持参したワインをご覧になり、どこそこの店にはもっと安いワインがあるよとおっしゃるなど、ほんとうに気さくな方でした。理辺良先生のご紹介で筆者(中嶋)は秦野にある上智短大の英語科の寮生を対象にした春季エニアグラムセミナーを18年続けてきました。聖マリア会のシスターが寮生の指導に携わっておられたのですが、昨年からシステムが変わり修道会もそこから離れたので、長く続いたセミナーも終了したところでした。

 理辺良先生のご冥福をお祈りしつつ、以下、理辺良先生から直接伺った貴重なお話を再掲載いたします。


(1) クラウディオ・ナランホ来日の経緯について: ナランホのワークショップ

インタビュアー:1994 年当時、どのようないきさつからナランホを日本にお招きすることになったのでしょうか。 そのあたりのお話からお聞かせください。

理辺良先生: ナランホを日本に招聘したのは、わたしとブリギッタさんという人です。ナランホとの連絡はわたしがスペイン語でやっていました。1993 年の夏にわたしがスペインでナランホと会い、翌年の夏に来日ということになったわけです。ブリギッタさんはドイツ人のセラピストですが、日本人と結婚され日本に住んでおられる方です。

 彼女とエニアグラムの話をしていて面白いねということになり、彼女はナランホと非常にいい関係を持っていましたから、日本に呼ぼうかということになったわけです。

インタビュアー: リベラ先生は以前から、ナランホと面識がおありだったのですか?

理辺良先生: 1993 年以前、ナランホの面識はありませんでした。わたしの場合はイエズス会ですから、最初ナランホとの交渉はちょっと難しかったですね。ナランホはイエズス会嫌いなので(笑)。もっとも、わたしもナランホとの関係は悪くなかったです。

 ブリギッタさんは日本での会場の設定とかワークショップ参加者との連絡などもすべておやりになりました。そのときのワークショップ参加者は 53 名で、うち日本人は34名、あとは外国人でした。

インタビュアー: そのときのワークはどういった内容のものだったのですか?

理辺良先生: 初心者向けでしたね。ワークはナランホなりのやり方があります。これは面白いですよ。ワークの参加者には事前に参加者の写真付きの自己紹介カードを作らせ、初日に提出してもらいます。
 
 イチャーソもそうですが、写真を見てこの人はどのタイプかということをあらかじめ捉えておく。次に性格の特徴を表わすような形容詞300をリストアップしたものから、自分に当てはまるものを選んでくださいというやり方で、参加者に選ばせたものを分析する。これは統計学を用いた因子分析からタイプを見ているわけです。これだけのことを、すでにワークが始まる前までに準備しているのです。

 ナランホはワークをやっているときにはわりあい慎重でした。彼はどちらかというと文学的なアプローチをとったのですが、そのときも本を使って英語でそれを読み、通訳が日本語に訳すというようなことがありました。すると外国人は日本語の通訳が入っている時間が無駄だといって、日本でのナランホのワークに不満を持った人もいましたね。彼らはとにかく早く学びたい。だから、焦りがでてきてイライラする。日本人は表立っては何もいいませんが、今度やるときは日本人だけでやろうというような話になり、そういう難しさもありましたが、まあ最後はいい雰囲気に終りました。

 そして、この次にはそれをもっと深めるワークをという企画があがり、ナランホは翌々年に再来日する予定になっていたのですが、ナランホ自身の個人的な事情で残念ながら実現しませんでした。

インタビュアー: それはほんとうに残念でしたね。もし、再来日しておられたら、(インタビュアー)もワークに参加することができたのですが。邦訳が出ていたリソの本でエニアグラムを知ったのは、たしか 1995 年のことだったと思います。

理辺良先生: 実際のワークでは、パネルディスカッションをたくさんやりました。パネルは自分のタイプの番号で集まり、テーマを決めて話し合いをしたあと、グループごとに前に出て、自分たちのことを話すといったやり方です。それを見ていると、なかにはそのグループに合っていない人が出てきます。例えば、典型的なタイプ5の物静かな人たちの中に、すごく強いエネルギーを持った人が混じっていたりするわけです。そうすると、その人はタイプ5ではないのではないかと、話し合いの中でそれを指摘していくのです。






(2) ナランホからイチャーゾに遡って: エニアグラムとスピリチュアリティ

インタビュアー: ナランホから今度イチャーソに遡ろうとすると、どうしてもエニアグラムのルーツということが気になってきます。エニアグラムのシンボル図形はグルジェフが西欧の人々に初めて紹介したものだと言う ことになっていますが、パーソナリティ・システムとしてのエニアグラムのルーツについては、ごく最近まで ユダヤ教の神秘教団スーフィ派に門外不出の口伝として伝わってきたものだという説が広まっていました。

 しかし、現在では、エニアグラム図に9つの性格を当てはめたのはイチャーソが最初であり、イチャーゾが創始者であるというところに落ち着いていますね。イチャーソ自身も、自分が創始者であると主張しているわけでしょう。それでは、いったいスーフィ起源説というのはどこから出てきたものだったのでしょうか?

理辺良先生:ナランホはイチャーソから聞いたと言っていますね。イチャーソがそう言ったんだと。しかし、 チャーソ自身は否定しています。 イチャーソの場合には不思議なパーソナリティですからね。彼はともかくパーソナリティシステムとしてのエニアグラムは自分が創始者であると主張しているわけです。カバラとの関連はあると言うのだけれども、スーフィとの関係は否定しています。

インタビュアー: イチャーソとナランホの関係はどうだったのでしょうか。

理辺良先生:イチャーソとナランホは離れてから、一度も会ったことがないようです。 ナランホによれば、チリのアリカで訓練していたときに、イチャーソから「とにかくあなたは一ヶ月ぐらい砂漠で勉強しなければなりませんよ」といわれて、そこで砂漠に行ったのだけれど、ところがもどってくるとイチャーソは「この人は勝手に動いたりして自己中心的だからだめです」と追い出されたと。もっとも、ナランホによれば、それはおそらく訓練の一つの試しだったのだろうということです。

インタビュアー: ナランホはイチャーソの自分に対する扱いは、ワークの一つであったかもしれないと言っているわけですね。

理辺良先生: ナランホは最初、イチャーソのもとで勉強しました。そのところではまだ公の出版物は刊行されていません。初めてエニアグラムを印刷物にしたのはジョン・C・リリー(注1)という人です。彼はナランホと一緒にイチャーソがチリでやっていたワークショップに行ったらしいですね。ナランホはそのあとアメリカに戻り、自分でエニアグラムを教え始めました。

(注1) ジョン・C・リリー:John C. Lilly イルカの研究で知られる。“THE center OF THE CYCLON –An Autobiography of Inner Space” (1972 年) において、チリのオスカー・イチャーソのもとでの体験について語っている。

 ナランホのワークショップにはロバート・オチェスというイエズス会士とヘレン・パーマー(注2)が参加していたということです。オチェスはロヨラ大学でイエズス会士にエニアグラムを教え始めました。そこにパトリック・オリアリーという人がいました。オリアリーはマリア・ビーシングとロバート・ノゴチェクという人と三人で組んで“The Enneagram: A Journey of Self Discovery”(注3)という本を書いています。

(注2)ヘレン・パーマー:Helen Palmer ナランホよりエニアグラムを学ぶ。インタビュー・テクニックを用いた統計的な方法を用いている。

(注3) “the Enneagram: A Journey of Self Discovery”(1984):『エニアグラム入門』というタイトルで邦訳が春秋社より出ている。日本語版初版 1987 年

インタビュアー: リソはもともとイエズス会の流れでエニアグラムと出会っているようですね。ところで、イチャーソはオリアリーらがこの本を出版したことについて、かなり許しがたいところがあるようですが。

理辺良先生:イチャーソはオリアリーやパーマー(注4)がエニアグラムについての本を出版したときには、著作権問題などで裁判に訴えていますが、ナランホに関しては何も言っていません 。分かってないというようなことは言うのだけれども、公に反対したことは一度もありませんね。ふたりは年齢的にはほぼ同じぐらいでしょう。ナランホは日本に来たときは 64 歳ぐらいだったから、いま 70 歳(2001年当時)ぐらいだと思います。

(注4)ヘレン・パーマーはパーソナリティ・システムとしてのエニアグラムはイチャーソを創始者とするものではなく、イチャーソはグルジェフのアイデアを持ってきたのだと主張している。(注5)

インタビュアー: 裁判というのもよく分かりませんが、いったい何がいちばん問題だったのでしょうか。

理辺良先生: エニアグラムはもともと霊性(スピリチュアリティ)のひとつなのです。それはあくまで自分との戦いのためにあるのであって、だから公開してはいけないということだったのですね。

 しかし、いつの間にかパブリックになって、いろんなふうに使われている。1993 年のLAウイークリーでのインタビュー(注5)では、そのことについてどう思いますかという質問に、それは別にかまわない、応用編だから勝手に使ってもらってかまわないと答えています。

 ただし、それを作ったのが自分だということだけははっきりしておきたいと主張しています。イチャーソはナランホ以後のエニアグラム著作者は、結局みんな分かってはいないんだということを言いつづけています。そして、イチャーソもナランホも、とくにイエズス会が霊的指導のためにエニアグラムを使っているということに関して非常に否定的です。

(注5) LA Weekly 1993 Nov:Michael J. Goldberg によるインタビュー

インタビュアー: ポピュラーな流れはまあいいでしょう、応用編だからと。ところが、イエズス会の霊的な修行に使うことには否定的であると。それはどういうことですか。

理辺良先生: 罪の概念が出てくるからです。フィクセーション(自我固着)とかパッション(情動)とか、それらは意識化することによって生かしていくことができるのだけれども、そこに罪の概念を入れると全部狂ってくるというわけです(注6)。エニアグラムは宗教とは関係がないということですね。

(注6) パッションはキリスト教のいわゆる7つの大罪と呼ばれるものと合致する。もっとも、キリスト教で大罪の数が7つとされたのは 13 世紀以降のことで、それ以前は8つあるとも言われていた。たとえば、4世紀の砂漠の隠修士エウアグリオス・ポンティコスは、隠修士が修行中に遭遇する、8つの悪しき想念をあげている。4~5世紀の教父アウグスティヌスもこれらの罪の問題に言及している。

インタビュアー: イエズス会で霊的な修行に使うときには、罪の傾向を強調するわけですか?

理辺良先生: イエズス会の特徴と言われているのが黙想指導、つまり瞑想ですね。
霊操(注7)のときにそれを使うのです。あなたはこれこれの罪の傾向があるからと。

(注7)霊操:カトリックの修道会イエズス会の創始者イグナチオ・デ・ロヨラが創始した黙想などを含む霊的修行法。

 そうすると、結局、宗教的な枠組みにおいて説明することになり、イチャーソもナランホもそのことに対して否定的なわけです。ナランホも宗教という言葉を使いません。スピリチュアリティという言葉を使っています。スピリチュアリティというのはあらゆる宗派を超えるもの、あるいは基本にあるものです。たとえば、スーフィでもユダヤ教のカバラでも、キリスト教でも、もちろん共通点があるのだけれど、それを特定の宗教の宗派のために使うと歪めてしまうことになるのです。

インタビュアー: スピリチュアルというのは宗教宗派を超えているということですね。

理辺良先生: 具体的にどの宗教ということではないのです。あらゆる宗教の根底に流れているものであって、そこから宗教が生まれるようなものですね。仏陀にしろキリストにしろ、それぞれに深いものがあります。仏教もキリスト教も本物だと思うのですよ。しかし、次が難しい。宗教は制度になってきますからね。宗教宗派になると、根底からずれちゃって、それを守ろうとする方向に行ってしまうことが多いのです。


(3) イチャーソのエニアグラム: エニアグラム本来の目的について

インタビュアー: イチャーソは原分析(プロトアナルシス)という言葉を使っています。

理辺良先生: プロトアナルシスとは、人間のパーソナリティないしは自我についての体験的かつ理論的な理解であるということですね。理論的にもそうですし、実感として自分に気づくということ。その両方がなければなりません。

 われわれが日本でもやっていること、これは全部プロトアナルシスですね。性格の分析ということです。 それは第一段階で、自分の傾向に気づくということですね。では、気づいたらどうすればいいのかというと、その次の段階に入ります。そして、第二段階はパッションとの戦いになります。そこでは徳というものも出 てきます。そして、第三段階は瞑想に入ります。しかし、一般に流布しているエニアグラムでは、第二段階、第三段階のアプローチが、アメリカでも日本でも抜けているわけです。第一段階での気づきがあっても第二段階、第三段階のアプローチがなければ、あとはどうすればいいのかわかりませんね。

インタビュアー: では、第二段階以降は私たちには可能なのでしょうか。

理辺良先生: わからないですね。わからないというのは、ナランホのもとで徹底的にやるとか、リソのもとで徹底的にやるとか、誰か指導者のもとで徹底的にやらなければならないでしょう。フィクセーションというものは、頭でわかったつもりでいても、そこからほんとうに自由になっていなければ、なおさら大変なことになってしまいます。たとえば、エニアグラムを取り扱っている人たちが、イチャーソの訴訟問題などを含めてそ うですが、なぜ分裂していくのかという疑問があるでしょう。日本でも分裂がおきていますね。なぜそういうことになるのか…。

インタビュアー: はい、残念なことにそれが現状です。また、一部にはタイプ判定に関して強固なこだわりを持つ人もいるようです。ファシリテーターがどういうレベルにいるのかということが問われますね。昨年暮れにリソたちに行なったインタビュー(注8)でも、そういうことが少し話題になりました。

(注8) 『エニアグラム研究』リソ&ハドソンインタビュー参照

理辺良先生: なぜだろう。たぶん早すぎるのです。十分に消化していないということでしょうね。たとえば、わたしはタイプ8、あなたはタイプ7と言ったりしているだけでは始まらないですね。タイプ8なら8で、タイプ7 なら7で、そして1なら 1 で、どのタイプにしろ、そのタイプがかかえているフィクセーションは大変やっかいなものです。

 ところが、そのフィクセーションをかかえたまま、自分をよく分かっていないままに、やっているのではないかと思います。

 自分を分かっていない人がファシリテーターになっても、一応エニアグラムの理論を学んでいれば、理論は指導できるでしょう。でも、それ以上はできないのです。なかにはエニアグラムを権威にする人が出てきたりして、誰が本物を持っているかといった権威の競争のようになってくることがあります。そうすると、真の知恵は伝わりませんね。

インタビュアー: 本家本元争いみたいな…(笑)。エニアグラムは自己観察というか、自分を見つめることが必要になりますね。そのためには、まず最初に学ぶ側が、前提としてある程度、内面的に強くないとだめなんじゃないかと最近思っています。内面を見ることに耐え得る強さというか、そういうものがないとやっていけないのではないかと。

理辺良先生: 心理学には三つの流れがありますね。一つは行動心理学、もう一つは精神分析、そしてもう一つはヒューマニステック(人間学的)な心理学。ロジャースなんかがそうですが。そして、その後にトランスパーソナル心理学が出てきます。トランスパーソナルというのは自我を超える次元ですね。その意味ではエニアグラムはトランスパーソナル心理学の領域にはいってくるわけです。

 ですから、前提としては自我がなければ始まらないですね。まず自我の形成ということがあって、今度はその自我といかにして戦うかということですから。それは自我を壊すということではなく、自我に囚われ ないように進んでいく、自我を超えていくということです。

 アメリカ人の場合は強い自我を持っていますから、自我構造の枠を超えていくということには非常に抵抗があるわけですが、日本人の場合には欧米人ほど には自我が強くないですから、自分のタイプがわかりにくいということはあるかもしれませんね。そのへん の違いはあるにせよ、自我がないと恐いですよ。変な誤解をして悟っちゃうと、自分が崩れてしまうという か、吸い込まれてしまいますから。

 臨床心理学の場合には、たとえば境界例などですと、それこそ自我が形成されていなければ、ほとんどひとりでやっていけない。だから、子供を教えているような感じになってしまうわけです。自我ができていなければ、その成長のレベルから出発しなければなりません。

 リソは9つの意識のレベル(注9)についての概念を作りましたね。その意味でレベルの概念は指標になると思いますね。もし、レベル5以下だったら、エニアグラムはあまり使えないと考えた方がいいでしょう。

(注9)9つの意識のレベル:リソ&ハドソンは意識の発達のレベルとして、それぞれのタイプの健全、通常、不健全の状態をさらに三段階に分類し、各タイプの内的構造を理解するための枠組み を作り上げた。

インタビュアー: でも、そういう人がワークに参加されることもありうるわけで、そういう場合、今度はファシリテーターの対応が問題になってきます。カリスマ的なファシリテーターが、精神的に弱い人を取り込んで、カルトみたいになっていくことも考えられなくはありませんからね。

理辺良先生: 危ない人が出てくる…。ですから、ファシリテーターに関しては、この人はエニアグラムを知ることによって、相手を殺さない人になってくかどうか、この人を世に出すことによって、世の中がよくなるか悪くなるかということが問われますね。

 その意味では免許ということが大事かもしれません。では、その基準はということになると、日本ではどの団体が、どういう資格でやるのか、これはなかなか難しいことです。いずれにせよ、最低限、経験のある指導者のもとでやることは必要でしょうね。





(4) あるがままを見るために 瞑想の勧め

インタビュアー: ナランホの話にもどりますが、ナランホは『性格と神経症』(注10)の初めの方に、グルジェフとイチャーソの思想をまとめて図式化していますね。彼はセンターの概念については、イチャーソから来たものを継いでいるわけですか。

(注10) “Character and Neurosis:An Integrative View “ Claudio Naranjo (1994)邦訳『性格と神経症』(春秋社)1997 年

理辺良先生: そう、それを臨床心理学の概念に置き換えたという感じですね。

インタビュアー: 『性格と神経症』に載っている図式を見ると、性格の側にはグルジェフのいわゆる低次感情、低次思考、本能がおかれ、それと対峙するものとして、本質の側に高次感情、高次思考、純粋本能があ ると説明されています。そこで、性格(パーソナリティ)と本質(エッセンス)ということが出てくるわけですが、リソたちも数年前の国際ワークあたりからは、9つのパーソナリティのみならず、エッセンスについてもわり あい突っ込んだ話をしていました。

理辺良先生: トランスパーソナルの分野ではこれはもう誰でも認めていることですね。知覚のシステムとして、思考があって感情があって行動がある。そして、それには低いレベルと高いレベルがある。たしかにそのとおりですね。

 結局、自我の選択として目に見えるものと見えないものがあり、自我は見えないものを切り捨てていく。では、それを直すためにはどうすればいいかというと、わたしは瞑想をお勧めします。瞑想をやることによって、物事をあるがままにとらえることができます。

インタビュアー: 普通の生活をしながら、瞑想をするにはどうすればよいでしょうか。ひとりでやろうとうすると、私などはたいてい寝てしまいます(笑)。

理辺良先生: 座禅をやったらいいですね。インターネットを使って検索すれば、どこか近くに座禅をやっているお寺が見つかりますよ。ここ(上智大)でも、週一回一般の人を対象に、カトリックの神父がやっている座禅会があるのですよ。そうすると、指導者がいますからね。

 もちろん、指導者がいる方が望ましいです。わたしは、いちばん最初、何も知らないまま自分でやってみて、いい経験だったので、どこに行っても座布団を持っていって自分でやっています。ある程度、姿勢と呼吸を覚えていれば、ひとりでできるようになります。

インタビュアー: 瞑想をやることによって、パーソナリティからエッセンスの方へ行けるのですか?

理辺良先生: 行くんですね、行きますよ。ただし、誰が、何人ぐらい行けるかはわかりません。

インタビュアー: 愚かな質問で申し訳ないですが、瞑想をして、いきなり目を開けるとエッセンスになっているということがあるのでしょうか?

理辺良先生: あります。ありますが、長続きはしないですよ。いちばん最初は何も知らないからできたのでしょうけれど、今度また同じものを求めてもだめですね。でも、座っていればそのうち見えます。見えるけれども消えちゃう。消えてしまって、場合によっては逆効果になるかもしれません。そういうときには指導者がいるといいでしょうね。

インタビュアー: エニアグラムは自分のタイプを探すところから始まります。それは自分のことがまだわかっていない段階ですね。自分のことがわかっていないで、いきなりスピリチュアルな世界に入っていくのは危ないということはありませんか。

理辺良先生: 危ないですね。エネルギーがあふれてきますから。まだまだ自分を分かっていない人が、エネルギーだけがあふれた状態になり、すごいパワーで自分の囚われを他人に押しつけてしまうということにもなりかねません。ましてや、そういう人がファシリテーターのような立場になると危険です。

 指導者がいれば、最初のナランホとイチャーソの関係でも触れたように、指導者と対決することがあります。指導者が相手をけなすことによって、相手がそれに耐えうるかどうか試すようなこともありますね。それは指導者もわかっていてやるなら問題はないのですが、自分のことがまだまだ分かっていない人が、仮に指導者的な立場に立ち、自分の自我の押し付けで無鉄砲にやっちゃうと、相手はつぶれます。


(5) グループワークの意義  お互いの成長のために

インタビュアー: わたしたちはエニアグラムアソシエイツという名前で、個人が集まっての勉強会やワークショップを行なっています。自分自身を振り返ると、ファシリテーターなんかやっていていいのだろうかと思うこともありますが、でも少人数の集まりにせよ、グループがないとなかなか学び続けられません。

理辺良先生: お互いに教えながら、同じ目的で集まるグループということですね。エニアグラムはイチャーソから始まってはいるけれども、グループがなければできません。その中では、試すようなことがあっても、グループに波があったとしても、われわれの目的ははっきりしています。それはお互いの成長ということです。

インタビュアー: 私のような未熟なファシリテーターにはなかなか大変です。

理辺良先生: ワークショップにやってくる人は、自分を知りたいからやってくるわけです。そこで、わたしだったら「ちょっと辛い経験があっても大丈夫ですか」と聞きます。そうでない限りは約束できないですからね。エニアグラムとはこういうものなのですよという説明までは OK だけれど、実際にワークを進めて行くと、やはりその人のひずみとかが出てくるでしょう。

 そういうものにぶつからざるを得ない。場合によっては対決せざるを得ないときもあります。そうなると本当に先生に対する信頼なのですよ。この人だったら、ともかく分かってやってくれているのだからと、そういう信頼関係が必要でしょうね。

インタビュアー: こちらの力量不足もあるのでしょうけれど、しんどいワークにはなかなか次回から人が来てくれない…。だからといって、積極的に人集めをするというのも、それは違うという気がしています。

理辺良先生: エニアグラムはそんなに大勢の人のために使えるようなものではありません。ビジネスとか応用面では、それは別に自分の成長のためにやるのではないわけだから、うまくやっていけるでしょう。また、エニアグラムを教えることで収入を得ようというようなことになると、お金が目的になってきますからね。気持いいところだけをやって、何回も何回も参加してもらうようにするでしょう。

 しかし、個人の成長というところで、誠実に呼びかけて5,6人が集まったとして、そのなかで一人ぐらい残ればいいところじゃないですか。いや 100 人のなかに一人ぐらいいればいいかもしれませんよ。

 エニアグラムというのは、本来スピリチュアルな成長のために使われる道具ですよということですね。それを忘れちゃうと、別に悪い意味ではありませんが、世俗的な方向に行ってしまって、スピリチュアルなものとはかけ離れてくることになります。

インタビュアー: エニアグラムを教えている人にもそれぞれタイプがあるわけですね。ナランホ自身はたしかタイプ5だと聞いたことがあったように記憶していますが。

理辺良先生: タイプ4か5ですね。若いときの彼の写真を見ると、ほんとうにロマンチック。いまはだいぶ太っちゃったようですが、タイプ5でウイングが4かもしれません。

インタビュアー: 個々のファシリテーターがエニアグラムをどう伝えていくかということで、自分の持っているタイプの傾向があると思います。マニュアルを重視するところもあるようですが、わたしはどうもマニュアルどおりにやるというのは苦手ですね。それでは自分の個性が抑圧されるというか、そんなふうに感じ悩んだことがありました。

 最近では、ファシリテーターにもその人のタイプがあり、そのタイプの持ち味というものは、生かしていっていいのではないかと思っているのですが。

理辺良先生: 中味としていいマニュアルがあっても、それをどう生かすかは自分のタイプなのですね。それがなくなっちゃったら面白くない。たとえば、タイプ6のファシリテーターがやればマニュアルに忠実にやろうとするかもしれませんが、そうでないタイプもいるわけです。自分の持ち味を出していいと思いますよ。

 それはカウンセリングでも同じことです。たとえば、カール・ロジャースから学んだ人が、ロジャースを真似しようとしてやってみるのだけれども苦しい。できないのですよ。ロジャースではないわけですからね。そこで彼の言っていることは十分に理解した上で、それぞれに自分たちのやり方を生かしていくということになります。

 また、日本の仏教には道元がいるし、一休さんのような人もいますね。みな違うわけです。そういった人物の教えや思想をたどることによって、みなが同じになるのではなく、それこそ磨かれたそのタイプが出てくる。だから、それぞれの人は自分に合うような先生を求めるわけです。

インタビュアー: 何年か前に、エニアグラム関連のワークでリベラ先生から直接ご指導いただく機会がありましたが、今回先生のお話をうかがいながら、そのときの体験について幾つか思い出したことがあり、自分のなかでもやもやしていたものがクリアになってきたところがありました。

 気づきを得るには長い時間をかけ、少しずつ少しずつ、それこそ薄皮をはぐような感じでやっていくというか、そういうものなのかもしれないなあと感じました。きょうはお忙しいなか、大変貴重なお話をありがとうございました。

インタヴュアー:中嶋真澄 (2001 年 6 月 20 日)

※当時インタビュアーが瞑想についての知識と体験がなかったことによって、瞑想についての話を深められなかったのが残念です。ヨガの呼吸法から瞑想への導入について、いまならもっと深いお話を伺えたのではないかと思います。イチャーソもグルジェフも自己探求において呼吸法や身体への働きかけを行うワークも行っているわけですから。



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