2018年11月13日(火)
エニアグラム研究アーカイブ 1
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エニアグラムをめぐる状況
1970~80 年代にかけて ――吉福伸逸氏に聞く


 エニアグラムアソシエイツで2001年に発行した「エニアグラム研究2」には、エニアグラムとは何か、どのように取り組んでいけばいいのかということについて、貴重なヒントとなる記事が掲載されています。
 以前、アソシエイツのHPにPDF版で掲載していたものをここに順次、再掲載しています。

1:エニアグラムをめぐる状況1970~80 年代にかけて ――吉福伸逸氏に聞く

 日本におけるトランスパーソナル心理学(注1)の紹介者であり、翻訳家、セラピストとして知られる(故)吉福伸逸氏は、1987 年に『エニアグラム入門』(P.H.オリアリー他著)という邦題で春秋社より出版された本に、解説を書いておられます。

(注1)1960 年代末に成立した心理学で、西洋心理学、東洋思想、シャーマニズムなどを総合的に研究し、心の全体像や意識の進化についての理論を導いている。また、健全な自我の確立を経た上で、自我を超えた意識の成長に向かうための方法論を研究している。エニアグラムもその研究対象となっている。

 その解説の中で、吉福氏はエニアグラムがアメリカで急速に広まった 1960 年代後半から 1970 年代にかけての、カリフォルニアを中心とした精神風土と言おうか、当時の時代的背景についても触れておられます。吉福氏の解説はわたしたちが、エニアグラムとは何かについて理解する上で、その全体を見渡すための見取り図を与えてくれるものです。

 なお、吉福氏は現在ハワイ(2001年当時)にお住まいですが、たまたま帰国された折に、講演等ご多忙中のところをぬって、このインタビューに答えていただきました。


■グルジェフィアンから見たエニアグラム

インタビュアー吉福さんが日本におられたころは、ホロトロピック・ブレスワークやゲシュタルト・セラピーを取り入れたワークショップを開催されていましたね。わたしも当時、1987 年か’88 年だったと思いますが、吉福さんが主宰していらっしゃった C+F のワークで、ホロトロピック・ブレスワークを体験しました。

 吉福さんが『エニアグラム入門』に解説を書かれたのは、そのころのことなのですね。でも、ワークショップではエニアグラムについては何もお話になっていなかったように記憶しています。

吉福 それがもともとのルールでしたからね。エニアグラムについては何も話さないというのが。今はもうぜんぜん、そういうことはないでしょうけれど。

 ぼくはいちばん最初、1973 年ごろのことですが、カリフォルニアのバークレーで、ジェイコブ・ニードルマン(注2)のグルジェフ研究会に入っていました。ジェイコブはグルジェフィアンですね。そのディスカッショ ン・グループでエニアグラムのタイポロジー(タイプ論)も出てきたのだけれど、これはすごく伝統的なやり方でほとんど表には出ていません。

(注2) ジェイコブ・ニードルマン:サンフランシスコ州立大学の哲学教授。東西の哲学や心理学、神秘思想、精神療法などを深く探求するグルジェフィアンとして、多様な著作を発表してきた。『宇宙感覚』(平河出版社)、『ロスト・クリスチャニティ』(めるくまーる)など。

 グルジェフのタイポロジーというのは、基本的にはたくさんの人に知らしめるものではなくて、ほんとうにある程度の修行段階を積んだ人が、自発的に理解していくものであって、そういう人にしかやらないようにということになっていました。

 そうでないとお互いに間違った使い方をされてしまって自己納得の道具になってしまうからです。「わたしはこのタイプだからこういう人なのよ」と、そういうふうに使われてしまうから、やめといた方がいいよというのが、グルジェフのもともとの考え方なのです。

インタビュアー :最近ではエニアグラムのタイポロジー、つまりパーソナリティ・システムとしてのエニアグラムは、オスカー・イチャーソを創始者とするというところに、大方のアメリカのエニアグラム指導者たちの見方は落ちついているようですが、吉福さんがおやりになったのは、イチャーソのタイポロジーではなく、グルジェフのタイポロジーだったわけですか?

吉福 ぼくはイチャーソの系統ではなく、ニードルマンの系統だから、グルジェフの直系です。もちろん、イチャーソのタイポロジーも知っていたし、よく読みましたが、実際にやっていたのは、グルジェフ・ワークの中でのエニアグラムが最初です。

 それはもともとスーフィにあったものを、グルジェフがちょっと変形させて使ったものです。だから、どうしてもエニアグラムに関しては、外に出すことじゃないし、辞めといた方がいいよということになりますね。ずっとそうだったわけです。外に言わないようにという口約束がありましたからね。

インタビュアー グルジェフのエニアグラムの中にも、タイポロジーはあったということでしょうか?

吉福 今みたいなものではないけれども、骨格はありました。思考・感情・本能のセンターと、本能の中にセルフプリザベーション(自己保存)、セクシャル(性的)、ソーシャル(社会的)という三つのサブタイプがあります。

 イチャーソから出ているものと多少言い方は違いますが、だいたい同じですね。ただ、書かれたものはあり ません。グルジェフの書いたもののなかには、エニアグラムに言及することはあっても、タイポロジーそのも のを解き明かすことはなかったですね。グルジェフは断片的にしか語っていません。全タイプのことを語っ ていないのです。

 グルジェフの弟子のなかに、『天界の影響』という本を書いた人がいて、彼はタイポロジーをベースにけっこう深く研究しています(注3)

(注3) ロドニー・コリンのこと。1930〜40 年代にウスペンスキーと親しく、彼から学んだ考え方について研究し、実践した。『天界の影響( “The Theory of Celestial Influence:Man, the Universe, and Cosmic Mystery”)』は、1952 年に発表された代表作。

インタビュアー :イチャーソのエニアグラムには、パッション(とらわれ)、フィクセーション(自我の固着)、バーチュウ(美徳)、ホーリーアイデア(聖なる考え)というのがあります。(注4)

注4) タイプ毎に、独特の Passion(とらわれ)、Fixation(自我の固着)、Virtue(美徳)、Holy Idea (聖なる考え) をもつとされている。ドン・リチャード・リソ& ラス・ハドソン著、“Understanding the Enneagram”(改訂版)は、これらの概念を以下のように説明している。
《「美徳」とは、本質(エッセンス)を生きる人が自然に表す資質である。本質がもつ、拡がりの ある、二元論を超えた資質を表現している。しかし自我がこうした「美徳」とのつながりを失うと、性格構造が「とらわれ」を発達させ、その喪失を埋め合わせようとする。「とらわれ」とは、本質 とのつながりを喪失したことに対する、隠れた感情的反応である。「聖なる考え」は、人が「今ここ」で、目覚め、リアリティをそのままに見ているとき、明晰で静かな頭の中に自然に生起して くるもの。「聖なる考え」を喪失すると、自己やリアリティについて、特定の自我の幻想に至る。 それが「自我の固着」である。》


吉福:そういったものは、グルジェフにはありません。

インタビュアー: イチャーソは、タイポロジーとしてのエニアグラムは、自分が創始者だと主張しているようですが。

吉福 いま流布しているものは全部、オスカー・イチャーソから出たものでしょうね。クラウディオ・ナランホもオスカー・イチャーソのところに行って学ぼうとしたのですが、イチャーソとけんかしてもめて、やめています。ジ ョン・リリーもイチャーソとぶつかっちゃった。

 イチャーソはチリの家族制度でこちこちに固まったところがあり、ものすごく権力的な人物で、要するにインドのグルのように、自分がグルをやろうとしていたわけです。アメ リカで育った人にはそれが耐えられない。

 だから、クラウディオもリリーも、エニアグラムのタイポロジーは面白いけれども、そういうなかでやられるとたまらない、付き合っていられないというわけで、タイポロジーだけを学んで帰ってきたわけです。リリーがそのときの体験を書いていますね(注5)。 いま一般に流布しているのはそれの二番煎じ、三番煎じ、四番煎じと言っていいでしょう。

(注5) “John Lilly, So far・・・”Francis Jeffrey and John C.Lilly 1990


インタビュアー :チャーソは最近のインタビューでは、エニアグラムのスーフィ起源説を否定しているようです。

吉福 イチャーソももとはスーフィだと言っていますよ。ぼくがいちばん最初に知っているのは、イチャーソのミッシングピリオド(失踪期)の間に、スーフィから学んだと彼が言っている。インタビューでも言っていたと思いますが。

インタビュアー ナランホもイチャーソがそう言ったと。でも、最近のインタビューではちょっと話が違ってきていますね。シンボル図形に 9 つのタイプを当てはめたのは自分だとイチャーソは主張しています。

吉福 彼の人生の中には何年間かのブランクがあるのです。彼はその間にアフガンのスーフィのところに行って学んだと言っているのですが、でもそれは半分眉唾ですね。何をしていたかよく分からない。イチャーソはすごくいかがわしい人物ですよ。

 ですから、イチャーソ自身がなんと言おうとも、エニアグラムの根底は、もともとはスーフィのもので、グル ジェフが探索したスーフィの伝統のどこかから、彼(グルジェフ)が西欧社会に持ってきたものなのだという 理解が最も的確だと思います。

 実際、ヨーロッパにはグルジェフ・ワークの一環として入ってきました。ただ、イチャーソもグルジェフが出会ったのと同じソースに出会ったと言っているわけです。いずれにせよ、イチ ャーソはグルジェフと同じようなものを、アメリカに持ち込んできています。

インタビュアー: イチャーソは、エニアグラムのベースには、ピタゴラスやプラトン、新プラトン派など古代ギリシャの思想があるというようなことを言っています。

吉福 ギリシャの方に原点があるというのはそのとおりだと思いますね。隠れたスーフィたちはギリシャ文化と触れ合ったはずです。中近東のあのあたりは古代から行き来が盛んで、ギリシャ時代から隠れたところに小グループがあったりしたようです。

 それから、グルジェフのエニアグラムは音楽です。根本にあるのは音ですね。要するに音の持っている反復性、パターン性というものがベースになっている。

 ですから、エニアグラムのベースには音楽があるということが言えると思います。ぼくはもともとジャズなどをやっていましたから、そういう接点が強くあったわけです。

インタビュアー イチャーソはオリアリーらカトリック・グループの著者たちが、エニアグラムの本を出版したとき、その著者たちを訴えていますね。

吉福 鈴木秀子さんが日本に持って来たのはそれなんですよ。ぼくは日本で最初に邦訳が出たその本に解説を書くよう頼まれたわけです。

インタビュアー吉福さんご自身はカトリック・グループのエニアグラムについては、どのようにお考えですか?

吉福 解説のなかではオリアリーの本についてとくに何も否定はしていません。まあ、日本でこういう本が出ても、星占いみたいになるだけで、エッセンスはなかなか伝わらないだろうなあとは思いましたが。

インタビュアー イチャーソは、ヘレン・パーマーが本を出したときにも、彼女を訴えています。その理由は幾つかあるようですが、どうもイチャーソは著者たちが勝手に本を出したことと、とくに自分を創始者と明記していないことに大きな不満をもっていたようですね。

 ヘレン・パーマーは、パーソナリティ・システムとしてのエニアグラムは、イチャーソの独創的な仕事ではなく、グルジェフから来ているというふうに言っています。

 イチャーソとその後の著者たちの間の著作権争いみたいなことに触れると、わたしたち日本でエニアグラムを学んでいる者にとっては、エニアグラムのルーツをさかのぼっていこうとすると、なんでみんな分裂に分裂を起こしてるんだというところに行き当たってしまって、どうもすっきりしません。

吉福 イチャーソの場合は最初にもうアメリカ人とのグループで大きないさかいがあり、そこですでに分裂しています。そのあとアメリカ国内に紹介され、いろいろな研究が行なわれてきているわけでしょう。よくあることですが、これはどこが元祖何々だというような世界で、単なる派閥争いですね。

 そういうのに対するいちばんいい方法は、主張する人がいたら「あ、そうですか、どうぞ、どうぞ」と言ってやることです。それがいちばんいい対処法なのです。その人の中に権力欲だとか名誉欲だとかそういうものがあって、そういうことをやっているのであれば、人生のどこかの時点でそういう人はバタッと倒れますから。

 必ず、そうなります。ですから、そういうのを欲しい人には、あげるのがいちばんいいのです。タイポロジーを勉強したら、それぐらいわかるでしょう(笑)。

インタビュアー :はい(苦笑)

吉福 グルジェフ・ワークの中はぜんぜん分裂などしていません。イチャーソから出てきたもので、どんどんおかしくなってきてしまっているのです。だから、ああなるから、外に出すのはやめようと言っていたわけです。

 エニアグラムは、グルジェフ的に使っていく限りは、人間理解の中でいい道具になると思いますよ。自分がどのタイプかということより、自分の持っている欠如部分を補っていくには、どの部分にアウェアネス(気づき)を持っていけばいいのかというのに役立ちます。イチャーソは問題のあるパーソナリティですよ。

インタビュアー 問題のあるパーソナリティから出てきたパーソナリティの理論というのは、これはいったい何なのでしょう。

吉福: 問題のあるパーソナリティ理論なのですよ(笑)。彼はトランスミッター(伝達者)なのですが、純粋にトランスミット(伝達)できないから、トランスミッターの色がついてしまうわけです。


■タイポロジーは当たらない… むしろ、その人の源に目を向けよ

インタビュアー: 話はもどりますが、ニードルマンのグループでエニアグラムをおやりになって以後、吉福さんはエニアグラムとどういうふうに関わって来られたのでしょうか?

吉福 :少人数でグルジェフの本を読んでいました。知識はありましたから、1974 年に日本に帰ってC+F を立ち上げていく上でもちろん考えました。それを組織論として考えてみると、本格的にパーソナリティ・タイプを構成するというところまではできないけれど、ポイントをおさえるだけでも、ぜんぜん違った視点が持ち込めます。

 たとえば、ふつうに何かをしようと思ったら、うまくいく人たちのグループを作ろうとするでしょう。けれども、あえてうまくいかないような人たちのグループを作ろうとするわけです。そうすることによって、さまざまな摩 擦を起こして、エネルギーを消費させるというやり方をする。それがグルジェフのやり方でした。

 彼は自分のグルジェフ・ワークをやるときに、パリのフォンテンブローで、みんなから嫌われる人をわざわざお金を払 って雇ったりしています。そういうのがタイポロジーの生きている発想なのです。

 ぼくも、みんなを困らせるような人を電話番に置いたりしていましたよ。発想の原点にエニアグラムを持っていると、そういう人がいかに重要かということがわかります。これはアウェアネス(気づき)のワークですからね。人間は放っておくと、ルーティン・ワークに堕してしまうものです。

 スーフィの伝統のなかに有名な言葉があります。「一杯のお茶をちゃんと入れることができれば、不可能なことはない」と。

 その通りだと思います。人間は一つのことも、なかなかまともにできないじゃないですか。何がまともかという発想さえもないじゃないですか。それがティー・セレモニーになってしまうとおかしいのですが、そうではなくてほんとうに一杯のお茶を美味しく入れられれば、それがエッセンスに触れることになるのですよ。

インタビュアー :吉福さんは日本にいらっしゃったときに、ワークグループの中でタイポロジーについてのお話をされたことはあるのですか?

吉福 このタイプはこういう傾向をもっているというのは説明しました。でも、あなたはどれ、わたしはどれとは教えない。いっさい言わない。

 でも、思ってはいますよ。思ってはいるけれど、言わない。言ったってろくなことはないですから。本人が自分で見つけなければ意味がありません。

 そうでなければ、たんなる性格判断じゃないですか。誰かから言われた場合と、自分でああでもないこうでもないと思いながら到達した場合とでは、ぜんぜん違いますからね。でも、これが言いたくなるのですよ(笑)。

インタビュアー :それはよく分かります。

吉福 :タイポロジーにはまった人を見ると、ああ、またはまってらあと(笑)。でもしばらくすると言わなくなりますね。数年でだいたい言わなくなる。背景に消えていく。“So what(それがどうした)” という感じですね。つまり、エニアグラムは「それでどうなの」と、どこかで、わかってやっているわけですよ。

インタビュアー ほんとうにそのとおりですね。タイポロジーは最初は盛り上がるけれど、そのうち、それがどうしたのと思うようになってきます。:確かにそのとおりです。

吉福 ぼくはすごくシニカルです。こちらから見て典型的なタイプに思える人でも、実際は当たっていないですね。そういう目で見ていた方がぜったいに利口なのです。

 典型的だと思って当てはめてみると、当たっていない。そういう気持で見なければいけないということです。それがグルジェフの教えなのですよ。タイポロジーはぜったいに当たらないというのがね(笑)。

インタビュアー :なるほど、逆説的に…

吉福 :タイポロジーでやるときに気をつけなければいけないのは、その人の立ち居振舞い、言動、しぐさといろいろありますが、そういったものを見ながらタイプを類推するのではなくて、そういったものが立ち上がってくることになるその人の背景の源に目をやることが大事だということです。

 なぜ、その人はこういう立ち居振舞いや、しぐさや、こういうものの言い方をしたり、こういう傾向の人生を送ったりするのか。もともとあるものの結果を見るのではなく、なぜという、その場に視野を向けることによってタイプを見なければいけません。

インタビュアー :ワークショップをファシリテートする立場としては、具体的にはどういうところに目を向けなければならないのでしょうか?

吉福 :誰かが何かを、予期しない行動をしたとするでしょう。そしたら、予期しない行動に反応するのではなくて、その予期しない行動が立ち上がってきた源に目を向けるということです。

インタビュアー :こちらとしては反応的にならないでということですね。

吉福 :相手の表現化された現象的な動きに直接反応するのではなくて、そういう現象が立ち上がってくるその源に、その人の心のあり方の方に目を向けるということです。そうしていかないと、人間は現象化されたものだとか、現象的に出てきた内容のものに反応してしまって、持っていかれてしまいます。ファシリテーターはそういうところに目を向けないとうまくいかないでしょうね。

 なぜかというと、あなたからすると予測もつかないような経験をしている人がいっぱいいるわけです。人生経験からいって、あなたなんかまだ若僧じゃないですか(笑)。

インタビュアー: はあ(笑)

吉福 :それが人生の70、80 歳になっていろんな人生経験をしてきた人をファシリテートしなければいけなくなった場合、出てくる現象というのはあなたの想像のつかないことがいっぱいあるわけです。そういうときには源に目を向けてください。

インタビュアー :はい

吉福: タイポロジーに囚われると取り込まれます。タイポロジーというのは人間を見る目というか洞察力を持った人であれば、スピリチュアルなティーチャーであれ、セラピストであれ、知らず知らずのうちに浮かび上がって見えてくるものです。

 あえてエニアグラムという形を出さなくても、見えてくるものです。ただエニアグラムを学ぶことによって、それを確認できるということはあるでしょう。

 ところが確認作業ではなく、それを知って使おうとすると、今度は実体とエッセンスから離れてしまった操作になってしまうわけです。エニアグラムというのは基本的にそういうものだと思います。


■ワークをやる原点の問題 動機づけ


インタビュアー :エニアグラムのワークはグループに分かれて、タイプごとの違いで盛り上がっているようなワークには大勢人も集まっているようなのですが…。もうちょっと深く、自分の内面を見るということになると、なかなか。

吉福 :ワークをやる原点の問題ですね。そういったワークに耐えることのできない人というのは動機づけがまだ十分でないわけです。そういうところに来るところにいないのです。そういう人は来て何がわかったかというと、わたしは何かしたいと思ったのだけれど、やっぱりしんどいことには耐えられないから、まだ本格的に自分自身を変えていこうという作業には取り組めないのだということがわかったということが、そのワークの意味なのです。

 そういうことが分かったのに、来させようとするのはもう完全な無理強いになってしまうわけです。準備のできてない人に何かをさせようとすることになってしまうから、セラピストにとってもよくないし、ファシリテーターにとってもよくないですね。

インタビュアー: また、あのときから来ないなと思っていたら、一年後、二年後に、ひょっこり出て来られる人もいます。

吉福 :準備ができたら来るのでしょうね。自分の内側に目を向けるというのは、そんなにたくさんの人がやる作業ではありません。たいがいの人は自分の内面に目を向けることには強い恐れを抱いています。

 何が出てくるかわからないから、とくに都会生活では抑圧が多いから、その恐れを克服してまで自分の内面に目を向けようという時点に行くまでには、それなりの動機づけがなければならないものなのです。それは基本的には自発的に出てくるものですね。

 ただ、その動機づけが病気であったり、社会的な破綻であったり、家庭生活の破綻であったり、他人とうまく行かないということであったり、いろんなことがあるでしょうけれど、これが自分だと思っている自分と相容れない衝動が自分のなかにあって、どうも人生のなかで居心地が悪い、自分との折り合いが悪いというようなことがあって、その自分との折り合いの悪さがある極みに達すると一歩踏み出すことになります。

インタビュアー :わたしなどはその折り合いの悪さがある極みに達してしまった方ですが、どうも自分の人生に対して負い目のようなものがあり、なかなかそれをぬぐうことができません。自分とは違って若いころからスピリチュアルなものに目覚め、高い意識状態にいる、いわばスピリチュアル・エリートのような人がいるのではないかと。

吉福 :若いころからスピリチュアルなことをやっている人にはろくな人はいません(笑)。きちっとした社会生活を営むことは重要なことですから、そういうことをせずに若いころからスピリチュアルなことにだけ励んでいるというのは準備ができていないということです。エリートでもなんでもないのです。

インタビュアー: 余談ですが、さいきん EQ(感情の知性)の次に SQ(魂の知性)というのが出てきているという話を聞きました。魂のクオリティというのですか、発達度というのか。しかし、どうやってそれを測るのでしょうか。

吉福 :『そんなのは測れるわけないじゃないですか。でも、お互い付き合っていれば、だんだん分かってくるものってあると思いませんか。

 昔から、あの人は人間のできている人だとか、やっぱりいろんな経験をして知恵を持っている人だとか、単純な庶民レベルで語られているようなことの中にヒントはいっぱい含まれていますよ。シンプルに対処していかないと。

インタビュアー :企業研修などにエニアグラムが応用されることについては、どう思われますか?

吉福 :そういう使われ方は有用だというのは分かります。ああいう視点を持ち込んでくると、人材登用からある特定のプロジェクトを組んだりするときに、非常に有効になってきます。持ち込むことによって人の選び方、チームの組み方がぜんぜん変わってくるわけです。これまでまったくなかった視点ですからね。

 使えるとは思いますが、ただ、それで選ばれて使われていく人たち個人個人の身になってみると、ろく なことはないと思いますね。

 だって、エニアグラムの根本は何かというと、一人ひとりの人間が成長するに当たってぶつかっていく問題点だとか、自分の本来持っているある傾向に対する洞察なわけです。それとして使うしかないから、つねに成長志向でなければならない。そういうふうに使っていかなければならない。ある意味で人材管理をするとか、そういうのは邪道になるわけです。

インタビュアー: ただ企業の中でも、じっさい目の前にいる人とどういうふうに付き合わなければならないかというところで、エニアグラムが役に立つこともあるようです。

吉福: そういう意味で有効性はあるでしょう。たくさんの人が自己評価をするときに、自己過大評価とか自己過小評価とかしてしまうから、そういうときにああいう道具があると、過大過小評価をある程度修正するのに役立つということは十分に考えられます。

■それでも、エニアグラムの伝統は消えない

インタビュアー :イチャーソのタイポロジーは、クラウディオ・ナランホが発展させたものであり、その意味ではナランホの貢献は大きいと思うのですが。吉福さんはナランホに関しては、どのような印象をお持ちですか?

吉福 : すごく聡明な人だと思いますね。こんなに頭のいい人がいるのだろうかと思ったほどです。イチャーソのところに行った人の中ではジョン・リリーなんかよりも優れていて、吸収力が早く、もっとも正当なものを持っているのではないかと思います。

 心理学をベースにしているし、臨床もやっているし、ほんとうにエニアグラムをやりたいと思うのであれば、クラウディオをやっていけばいいかもしれませんね。

インタビュアー: わたしたちはリソ&ハドソンからエニアグラムを学んできたわけですが、ナランホにもどってみると、リソたちのエニアグラムがどこから来たのかということも見えやすくなります。

吉福: 見えてくるでしょう。アメリカの人たちのエニアグラムは、ほぼすべてがクラウディオのところから出ていると思いますよ。

インタビュアー: ナランホを通して一般に広まっていったエニアグラムも、自己成長の道具として用いれば、これは眼からうろこというところもあるわけですよね。だけれども、その一方でそのノウハウを使って、カリスマになる人とか、変な人が出てくることもあるようです。

吉福 :オスカー・イチャーソがまずその最初じゃないですか。ぼくはそのへんは今となるとオールド・スクールだから、正統派でね、保守派なのですよ(笑)。

 そうなるのは目に見えていた。道具として使えるのはよく分かる、たくさんの人の助けになるかもしれない。でも、そういうのは間違った人の手に渡ると変なふうになるので、そうならないよう、止めるのが重要なことだと

インタビュアー: でも、いろんな人の手に、すでに渡ってしまいました。

吉福: いまみたいに広がっていってしまっては止めることはできないでしょう。でも、ぼくは思うのだけど、エニアグラムの伝統は消えないですよ。どんなになっても消えないから、大丈夫です。

インタビュアー :大丈夫です、と言っていただいたところで、まだまだ伺いたいことはたくさんあるのですが、時間がなくなってしまいました。今日はお忙しい中、ほんとうにありがとうございました。

(2001 年 9 月 1 日)
インタビュアー:中嶋真澄
取材協力・注釈:ティム・マクリーン、高岡よし子(c+F研究所)

 2018年11月 再収録


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