2018年10月16日(火)
性格の健全度ー5 内面への取り組み方
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健全度のレベル
理解の仕方・取り組み方


 健全度のレベルの理論に関しては、幾つが疑問点があります。
 
 一つは健全な段階:レベル3が、社会的にも機能している状態と説明されていましたが、社会的な役割を十分こなし、「誰が見ても素晴らしい人だ」「人間的によくできた人」というのが、健全度が高いということなのか。その説明でいいのかどうか?

 故リソ先生に直接聞いてみたい疑問点だったが、もはやお尋ねするすべがない。おそらく、よいヒントを与えてくださったと思うのですが。
 
 なぜ、(筆者が)この点にこだわるかというと、「社会的に成功している人がすべて健全度の高い人とは言えない」ということは、この健全度の概念に含まれていると思われるが、社会的に十分機能しているということが、サイコ・スピリチュアルな領域で、必要な概念なのかどうか。

 エニアグラムが古代の原始キリスト教やユダヤ教、イスラムの神秘主義、また東洋的な思想の影響を受け、それらが統合されたものだとするならば(リソ&ハドソンではそのような説明になっていると記憶している)、「社会的」というのは、現代社会を意味しているように思われ、底が浅い感じがします。

 この疑問から離れても、エニアグラムは個人の自己分析・自己理解から、ビジネスジャンルでの応用という方向に広がっていきましたが、ここはなお心理的レベルにとどまっていることが多く、心理的レベルでのエニアグラム理解に、健全度のレベル(意識のレベル)の概念を取り入れると、混乱が起きる気がします。

 

◆不健全なレベルの状態は誰の中にもある

 リソ&ハドソンによる健全度のレベルの図を眺めてみると、レベルが下がるほど点線部分の領域が狭まっていきます。

 
 
 これは意識的なレベルが狭まっていくということです。無意識的に行動するわけです。

 それは自分のしていることを自分が知らない、という状態です。

  「彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」ルカ23:32

 その一方、不健全なレベルの状態が自分の中にあることを感じる人も多いことでしょう。しかし、それがイコール、自分が不健全なレベルにいることを示しているわけではありません。

 自らの不健全な状態を意識化できる人は、不健全ではない。

 逆に、自分は不健全な状態にはいない。つねに健全なレベルの状態が感じられるという人がいたとしたら、それは非常に底の浅い人間だということになります。

 自分をつねに健全な状態にあると思っている人は、健全な人とは言いがたい。

 自らの内にある心の闇をとらえることのできる人の方が、ただ無意識に突き動かされて、心の闇にあるものを行動化してしまう人よりは、はるかに健全であろうということは疑問の余地がないでしょう。

 リソ&ハドソンの健全度のレベルにおける不健全な段階とは、それを「行動化」するか否かにあります。
「行動化」しなくても、その不健全な状態に支配されているのであれば、つまりとらわれているのであれば、それは健全な状態とはいいがたいです。

 自らの内にある不健全な状態を行動化するのではなく、意識化しているかどうか、そしてそのことにどう取り組もうとしているか、それが内面の深さにつながっていきます。

 たとえば、極端な話ですが、誰かを憎む。その人に消えてもらいたいと思う。だから、その人を殺す。これは行動化です。行動にまではうつしていないけれど、殺したいほど憎み続けている。そこに執着しているとすれば、それは健全ではない。

 けれども、その自分の状態を深く見つめ、その思いを克服したいと欲しているなら、その自分を超えていくことができます。それは自ら健全度を上げていくための取り組みとなって現れるでしょう。

 健全度のレベルを上げることは、自らの内なる不健全さ、内なる闇を、含みつつ越えていくということになります。

※健全度(意識のレベル)について、各タイプのレベル3~4の間におかれている「目覚めの注意信号」と、レベル6~7の間にある「鉛の法則」については、リソ&ハドソンの下記の著書をお読みください。

『エニアグラム―あなたを知る9つのタイプ 基礎編 』(海外シリーズ)角川書店



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