2018年9月29日(土)
エニアグラムと子供の性格-1
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ホーナイの三つ組みと子供の性格


■目に見える性格の違い

 子供の性格がはっきりしてくるのは小学校に入って集団生活になじみ始めたころからです。保育園や幼稚園のころは、団体生活といってもまだ子供が自主的に行動するというところまではいっていません。

 もちろん、そのころから、おとなしい子、活発な子、人懐っこい子など、その子の性格の基本のところにあるものは、親や周りの大人が知ることのできるものです。

 けれども、5,6歳ではまだ主体性が伴っていません。その子の性格がはっきりしてくるのは、小学校での集団生活を始めるようになってから、集団のなかでどう振舞うかというところできわだってきます。

 たとえば、学校での様子から、自分から手をあげハキハキと答える子、友達を大事にする子、いつもみんなのあとからついてくる子、物静かで教室の隅のほうにいる引っ込み思案な子など、集団のなかに置いてみるからこそ、見えてくるものがあります。

 そこから、子供の性格を三つのグループに分類することができます。一つは「ハキハキとした態度」「競争心が強く」「何でも自分から積極的にやる」「負けず嫌い」といった性格で、自分をはっきり主張するところから、自己主張型と呼ばれるタイプです。

 もう一つは「周りに合わせる」「みんなのことを考えて行動する」「親や教師の期待にこたえようとする」「いわれたとおりにやろうとする」「協調性がある」などの特徴をもつタイプで、集団のなかでの自分の行動ということを意識しているところから、追従型と呼ばれます。ただし、追従型という言葉は、ネガティブなニュアンスで受け取られることがあるので、協調型としておいたほうがよいでしょう。

 そして、もう一つは「引っ込み思案」「おとなしい」「ほかの子たちからちょっと離れている」「一緒にいてもあまり自分を主張しない」「空想壁がある」といった傾向の子供で、自分のなかに引きこもる傾向から、遊離型と呼ばれます。

 自己主張型の子供は、自分中心に考え行動する傾向があり、協調型の子は友達や仲間のことを気にし、遊離型の子供はあまり自分から友達を作ろうとはしない傾向があります。競争心という面から言えば、自己主張型の子供は何でも自分がいちばんでありたいと思うでしょう。

 追従型の子供なら自分が一番というよりは、二番か三番ぐらいが居心地がいいと感じるかもしれません。遊離型の子供は、あまりみなとの競争ということに興味は持たないだろうし、競争をしたがらないというところがあるはずです。


自己主張型・協調型・遊離型の特徴

 こういった違いは何も子供にだけ見られるものではありません。大人になってからも、はっきり残っているもので、PTAの集まりなどでお母さん同士、人前ではっきりものをいう人、仲間を作ろうとする人、あまり発言しない人などで、なんとなくグループが分かれているようなことがあります。

 親子でも性格が違うというとき、こういった人前での態度の違いがまずわかりやすい例としてあげられるでしょう。
 もし、親が人前でもものおじせず自分を主張し、何事にも積極的な人であれば、自分の子供にもそういった態度を望むかもしれません。勉強やスポーツでは「一番になりなさい」と、お稽古事なども「発表会でほかの子より目立つようにがんばるのよ」と、口に出して言うこともあれば、はっきりそういわなくても、そう望んでいることを日ごろの話や態度の中で子供に伝えているものです。

 もし、わが子が友達にいじめられているとしれば、「やられたらやりかえしなさい」と、「そんなことで負けるな」と叱咤激励したくなるのではないでしょうか。

 親と同じように自己主張型の子供であれば、親にそういわれるまでもなく、ほかの子には負けたくないと思ってがんばるでしょう。

 けれども、もし遊離型の子供であったならば、どうでしょう。友達と競争などはしたくないし、言われたら言い返すようなこともできないし、したくない。親は「言い返すこともできないのか」と思うかもしれませんが、言い返せないだけとは限らず、「言い返すようなことはしたくない」という子供もいるのです。そういう土俵で生きていないということですね。これはなかなか自己主張型の親にはわかりません。

 協調型の親であれば、親自身が周りの人の目を気にし、周囲に合わせようとするところがあり、子供を育てることにおいても周りの言うことに左右されたり、世間体を気にするようなところがあるでしょう。

 ホンネとタテマエや内と外の区別があり、他人に対して向ける顔と家の中での顔が違うといったことが、本人は意識しなくてもあるかもしれません。そうすると、子供によっては、それを敏感に察知している場合もあります。

 協調型の親は、「みんなと仲良くしなさい」「先生の言うことをよく聞きなさい」ということをいちばん子供に強調して伝えるかもしれません。子供の自己主張をわがままととらえ、「我慢しなさい」「みなのことを考えなさい」ということを教えようとするかもしれません。そうすると、伝え方によっては、自己主張型の子供の本来のいいところを「頭を押さえつける」ような形で押さえつけるようなことにもなりかねません。

 遊離型の親であれば、親自身があまり人付き合いを好まないとか、人付き合いが苦手という面があるかもしれませんし、子供に対しては子供の強いエネルギーになかなか対応できないということもありうるでしょう。

 親が子供の性格傾向をよく理解していれば、その子の長所を抑圧しないで、うまく伸ばしていけるでしょうし、短所となっている部分をどう補っていけばいいかということがわかります。

 よく「望ましい性格」とか「いい性格」と言われますが、どのような性格であれ、それは本来持って生まれたものの上に、生まれてからの環境において培われてきたもの。本来持って生まれたものに望ましい望ましくないとか、いい悪いというものはありません。


■親や教師に子供の特徴が肯定的に受け止められているか?

 自己主張・協調・遊離といった三つの傾向は、子供の持って生まれた感受性の上に、成長するに従い学校その他の集団のなかにうまく適応していく、その適応の過程で際立ってきた特徴だといえます。

 それらの特徴は長所にもなりうるし、短所にもなり得るものです。ですから、いちがいに望ましいとか望ましくない、いい悪いの判断はできないわけです。

 けれども、そこに親自身の性格や、子供の性格に対する親の期待や価値判断が働いてしまいます。また、学校は集団生活を営む場所ですから、先生の言うことをよく聞き、みんなと仲良くすること、そして、学校の決まりを守ることが求められます。それができない子は肯定的な評価が得られないことになります。

 そうすると、学校の規則やルールを守ることに口うるさい先生や、生徒をコントロールしようとする傾向の強い先生などは、言われたことをきちんとやろうとする協調型の生徒を肯定的に評価し、内向的でみなと一緒の行動が取りにくく、ほかの子よりも出遅れがちな遊離型の生徒に対して否定的な評価を下すというバイアスがかかる場合があります。

 もっとも、これは教師の人間性にもよるのでしょうけれど、遊離型の子供にとって、とくにいまの小学校はあまり居心地のいい場所だとはいえないでしょう。

 ただ、子供を取り巻く環境のなかにいる大人が、その子と似たような性格傾向を持っているほうが理解しやすい面があり、また子供もそういった自分に近いところのある大人に対して心を開きやすいという面があるように思えます。

 自己主張型の親であったなら、子供のころから何でも積極的にやってきたし、人前でもものおじせずに自分の言いたいことややりたいことをやって来れたという自覚があることでしょう。もし、その人の子供が遊離型だったとしたら、「どうしてもっとはきはきしないの」「さっさとやってしまわないの」「友だちに負けないようにがんばろうとしないの」と、もどかしく思うはずです。

 あるいは、協調型の親であったなら、子供に対して世の中の常識や世間体、社会のルールといったことを持ち出し、「こうすべきです」という言い方をするかもしれません。子供の前で言っていることと、ほんとうに思っていることとはちょっと違っているかもしれません。もし子供が自己主張型であったとしたら、「この子は自分勝手で、わがまますぎる」と思い、必要以上に子供の自主性を抑えようとするかもしれません。

遊離型の親であったなら、自己主張型の子供は活発すぎて対応に疲れると感じているかもしれません。





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