2019年1月5日(土)
エニアグラムの来歴4 新プラトン派 プロティノスの思想
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新プラトン派
プロティノスの「一者の流出」説とは



 エニアグラムが古代ギリシャ思想、とくにプラトンやネオプラとニズム(新プラトン派)の思想の影響を受けているといわれるとき、それはどういうことを意味しているのでしょうか。

 ということについて、若干の考察を行ってみたいと思います。

 新プラトン主義は、プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)哲学を受け継ぐもので、プロティノス(205~270)に始まるとされています。

 プラトンは超自然的原理を「イデア」と呼び、イデア界を想定。自然の世界はその模像であり、イデア界をモデルに作られたものと考える二元論的性世界観を展開しました。イデア界こそ真実在であり、自然界はイデアを映し出す影のようなものと考えられています。

 プロティノスは、プラトンの永遠に変わることのない超自然のイデア界と、その模像である生成変化する自然の世界という思想を発展させ、存在の多層的な階層を想定しました。

 プラトン哲学にはそれ以前のギリシア思想、とくにピタゴラス派の考え方が影響していると考えられています。

「一者」の流出説 あらゆる被造物が一者の流出によって産み出される

 プロティノスは、万有の始原を”「一なる者」とし、この「一者」から、万物が流出すると説いています。「一者」は、絶え間なく湧き上がりあふれる泉のように産み続けます。これが「一者の流出説」です。

 プロティノスによると、宇宙は全て「一者」から産み出されることになります。万物は「一者」から産み出されます。「一者」は万物に先立つものであり、万物を生み出す力(デュナーミス)によって、上から下へと、不断に流れ出します。より完全なものから、より不完全なものへ、より劣ったものへと流れ出します。

 プロティノスは「一者」は本来名付けようのないもの、「一者」は述語づけることができないものと考えていました。

 「一者」が最初に産み出すのは知性(ヌース)です。「知性」は一者から流れ出て、一者を振り返り「見る」働きがあります。「見る」働きが知性です。

 「知性」からは「魂(プシュケー)」という自然原理が出てきます。魂は知性から出ているがゆえに知性的です。魂はその他の被造物へと下降していきます。

 「一者」の絶え間ない流出は、あらゆる被造物を生み出します。

 プロティノスはすべての被造物に魂が宿っていると考えています。魂は、宇宙全体やその中の人間、動物・植物・石などあらゆる存在に働くと考えられています。

 では、「一者」はどうして自分のうちにとどまっていないで、万物を流出し続けるのでしょうか?

 プロティノスは太陽に例えてこう説明します。太陽の周辺には輝かしい光が見られるが、太陽自体は静止したままで、しかもそこから不断に光が産み出されている。そのように、「一者」は自らをまったく減らすことなく、自らの外に向かって光を放つ。

 人間は魂と身体(物質的なもの)からなる存在です。個々人の魂は、存在の段階秩序において、神と動物の中間的なところにあるものです。個別の魂は肉体を管理するために下方に流れるが、ある部分は上方にとどまると考えられています。

 この「一者の流出」の考え方からすると、肉体の中に魂があるのではなく、肉体は魂の内にあると言えます。

 「一者」の流出は、知性、魂、魂と肉体を持つ人間、動物、植物、無機物へと下っていきます。それは神から離れ、より人間的、動物的、より物質的なものへと下降していく流れです。



 


「神的なもの」との合一 魂の還帰


 「一者」の流出から、この流れを逆にたどれば、究極「一者」に行きつくことになります。魂の身体への下降という下方への流れから、上方へと向かう上昇の可能性が出てくるのです。

 「一者」から流出した我々の、自己の内なる魂は、自らの出自とその真価を忘れていると考えられます。自らがどこから来たのか想起する必要があります。

 我々が「自己とは何か?」「人間とは何か?」と問うとき、それは自らの魂がどこから来たのかを問うことになります。

 プロティーノスによると、それが「一者」の探求の発端であり、その問いを持ち続け、問い続けることは、「一者との合一」という最終目的をめざすことにつながるというわけです。

 人は獣として生きることも、神的知性として生きることもできる。魂の内にはすでに知性が宿っていると考えられています。神的知性はそれを得ようとするのではなく、そこへと向かって還っていく、還帰することになります。

 最終目的は、魂の本来のあり方に従って生きるということであり、それは「神に似ること」であるとも言えます。

 個々人の魂は固定したものではなく、「一者か」ら発し下降したものであるとともに、一者へと向かい上昇していくもの、一者に還帰しうるものととらえられます。

 自分自身を超えて、「一者との合一」を目指す。これがプロティノスの神秘主義的思想です。

 筆者は大学一年のとき、このプロティノスの思想に出会いました。当時ははっきりいって、このような思想はなかなかに理解しがたく、それでいて何か強い印象を残し、常に記憶の底にしまわれていました。エニアグラムと出会って、再びプロティノスの名が出てきたことに不思議なはからいを感じたものです。
 
 神的なものから流出した魂が、自らの出自を忘れ堕落していく、その過程を筆者自身もたどっていたような気がしました。より高次のものとのつながりを忘れていた…。

 こういった思想は分析的な思考に慣れた人には、なかなか受け入れがたいかもしれませんが、自らの生きる意味について、魂がどこからきて、どこへ行こうとしているのか、ふと思いをはせた時、何かより高いものの息吹を感じ、自らの魂が下降ではなく上昇へと向かって行くことが可能だと知れば、それまでとは何かしら、生き方への取り組みが違ってくるかもしれません。

 参考図書:

『世界の名著 プロティノス・ポルピュリオス・プロクロス』中央公論社

『新プラトン主義を学ぶ人のために』世界思想社



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