タイプ9と『この世界の片隅に』

タイプ9のテーマに入ります。ラス&ハドソンの理論をベースにしています。

タイプ9のテーマは存在すること。
Being Being and Presence 「いまここ」にいるということ。
わたしたちはリラックスしていまここにいるということがなかなか難しい。

体は緊張し、思考や感情とは同一化しやすい。あらぬ空想の中をたゆたい、妄想的思念に駆られる。
そして、エモーショナルなものに沸き立つ。意識はいまここからはなれ、
アリティとは程遠いところにいってしまいします。

自分自身が自らの全体性から切り離され、すでにパーソナリティの囚われに入ると、
―タイプのとらわれにはいるとー自分自身の全体性から切り離される。

いまここのプレゼンスにとどまるためにはリラックスしていなければならない。
けれども、真にリラックスすることは難しいとトラスさんは言います。

タイプ9においては、たしかに「いる」ということができる。
本能センターのタイプであり、地に足のついたあり方ができる。が、真にそこにいるかどうか。
自我レベルではそこにいながらにしていない、というか、ただぼうっとしている、
リアリティとのつながりなくして、そこにいる。
「めざめてあること」がBeingであるとするならば、タイプ9において、
そして私たちの内なるタイプ9的側面は、目覚めてそこにいるわけではない。

真にリラックスしていれば、目覚めている。すべてが生き生きと、繊細に感じられる。
つながっているという感覚が持てる。ところが、私たちがリラックスしているという状態は、
ごろ寝している、PCやスマホで漫然と検索し、チャットしている、
酒を飲みほろ酔い加減でいる・・・など。

それをリラックスと言っているが、リラックスが真に緊張の解けた状態であるとするならば、
こういう状態は緊張が解けた状態というよりはむしろ、「マヒしている」という状態。
リソ&ハドソンのエニアグラムではそういうことになります。

たしかに、通常、わたしたちが家でリラックスしているという状態は、
真に緊張が解けた状態でないことがわかる。
緊張には身体的な緊張、感情的な緊張、頭の緊張というものもある。

私は『ゲーム・オブ・スローンズ』という長辺のファンタジードラマのファンですが、
かなり残酷なシーンなども出てくるし、なかなか息をつけない。人物造形が深くて、
シーズンを追うごとに、登場人物が内的に成長しているのが分かってくる。
二度みないと、それがわからないのだけれど。また登場人物同士の関係が深まっていくのも
理解できて面白い。
このあいだ、ちょっと時間があったので続けてみていると、だんだん頭痛がしてきました。
リラックスではなく、ある種の緊張と興奮がもたらされるドラマなのです。

そういうのは、家で休みの日にリラックスしているとき、映画を見ていますといっても、
リラックスしているわけじゃない。ということがよくわかりましたね。

私がタイプ9ではなく8なので、リラックスを求めるより、ビビッドな感じを求めてしまう
ということがあるわけです。

ここで、「呼吸をする」ということ。それがリラックス、いまここにいる、ことにつながると
いうことになり、近頃はバーチャルワークショップのなかでも、
呼吸・瞑想をする時間が設けられていたりもします。

私は2年前から、「呼吸」を探求するためにヨガをやっていますが、エニアグラムヨガで、
身体的にリラックスした状態というのも体験できるようにしたいと思っています。

タイプ9の囚われはSloth(怠惰)です。これは家でごろごろしているとか、怠けているとか、
そういう意味ではありません。
つながっていない、自分にはかかわりがないといった感じ、重い気分、無関心。関わっていない、
かかわっているようでも半分ぐらいしかかかわっていない。
参加していない、そこにいながら、いない。

たとえば、愛する人と、かかわっているようでいて真にかかわっていない状態。
人の話を聞いているようでいて、ちゃんと聞いていない。心ここにあらず。

「えっ、聞いてなかった」

そういうような状態は誰でも経験があるのではないでしょうか。

子供のころ、あまりかかわりたくないこと。親がけんかをしている、嫌なことがあった、
そういうとき空想の中に逃げ込む。心地よい空想の世界にいる。そういうような状態。
それは必ずしもわるいものではないが、人生において常にそういう状態でいたら・・・。

無関心というやりかたで、この世界からかい離する。リアリティとかかわらなくなる。人と、世界と。

水面下には「怒り」があります。しかし、タイプ9における怒りは表面に浮上しにくい。

この世界は残酷だ、ひどい、この世界の一部であることに耐えられない、超越したい。
でも、生き生きとかかわらない方がいい。「自分にできることなんて何もない」

「怒り」のさらにその背後には「悲しみがある」

ここで、見ておいてほしい映画があります。が、その話はあとにして、
「怠惰」という囚われについての続きです。

タイプ9の美徳は「つながり」です。全体性へ向かう。
自分と人、世界。美徳とは変容したハートのありよう、ハートの資質・状態を表しています。
そこには恐れがない。

タイプ9はエニアグラム図において3-6-9という正三角形を形作る頂点にある。
ここから、私たちは全体性から、切り離されていくところが象徴的にあらわされているとも言えます。

全体性の回復は、だれにとってもテーマとなります。

で、みておいてほしい映画は『この世界の片隅に』です。
昨年、『シン・ゴジラ』『君の名は』とこの映画の三本が高評価でした。
とりわけ『この世界の片隅に』は徐々に観客動員数が増え、高評価につながりました。

第二次世界大戦勃発から終戦にかけて、一人の素朴な女性が主人公のアニメです。
すずさんというその女性は、絵が上手でとてものんびりした女性です。
広島から呉に嫁に行き、そこで日々の食料を手に入れ、
家族に食べさせるものを工夫するなどしながら暮らしています。

すずさんの内面の表出は、映画を見ているときに、
観客の涙を誘ったりするようなものではありません。

これはオタキングの岡田斗司夫氏(私のリスペクトするオタク系論客)による
ハイドラマ、ロードラマの分け方ではハイドラマといえるもの。
安易に感動を誘うドラマではなく、非常に質の高い表現となっている。
観客はこの映画を見て、見終わって、どういう反応をしたらいいのかわからない。
そのあと、じわじわと心の中に・・・。

とはいえ、これは決してわかりにくい映画ではありません。
むしろ、状況は非常にわかりやすいのです。

ここでこの映画をエニアグラム的に読み解くと、まさに今回の課題であるタイプ9の内面の
表出そのものではないでしょうか。

温和でおだやかで、ちょっとぼうっとしたところもある、すずさんの感情の表現、
激しくはない、しかしその内面で起こっていること。

「怒り」そしてさらにその底にある悲しみ。やりきれなさ。

そういったものが観客に伝わるので、じわじわとこの映画は広まっていったのだと思います。

映画館に行けない人もDVDになったら、ぜひごらんください。

『この世界の片隅に』